牛丼の吉野家の「いつから」をまとめました。
日本橋での創業、戦後の再開、会社化、チェーン展開など吉野家の沿革、
こだわりの器や、お玉、
海外の輸入肉を使い始めた時期など、
あれこれ調べてみました。
*最初におことわりですが、吉野家の表記は本来は“士に口”ではなく“土に口”なんです。ただ、出し方がわからないので、一般的な吉で表現させていただいています。
吉野屋の創業はいつから?
まずは創業はいつから、という点。
吉野家が営業を始めたのは1899年。
当時魚河岸があった日本橋で、個人商店として開業しました。
当時はまだ高級だった牛肉をつかった牛飯を、主に魚河岸で働く人たちに提供していたそうです。
1899年とはどんな年?
1899年と言ってもピンときませんよね。
今から120年近く前の話になります。
元号で言うと昭和の前の大正時代の、そのまた前。
明治32年になります。
キリがいいところで1900年を見てみると、この年にお隣中国(当時はまだ清)で義和団の乱が起きています。
ヨーロッパではパリ万博が開かれた。
夏目漱石がイギリスに留学したり、後に日露戦争で活躍する戦艦三笠が浸水したのも1900年。
ちなみに印刷大手の凸版印刷が創業したのも1900年。
吉野家の創業はそれよりも古いのです。
創業者は松田栄吉
吉野家の初代は松田栄吉という人物。
大阪の出で、出身地が西成郡野田村字吉野という場所だったことから、屋号が吉野家になったとか。
創業前には料亭で働いていたそうです。
戦後の営業再開はいつから?
関東大震災を機に魚河岸が築地へ移転し、吉野家もこれに倣います。
しかしその後、さらなる災厄が。
1945年3月10日の東京大空襲で、吉野家も店を焼かれてしまいます。
しかし栄吉は屋台で営業を再開します。
店舗の再開は1947年から。
吉野家が法人化したのはいつから?
1958年。
初代の社長は松田瑞穂氏。創業者・栄吉氏の息子です。
お兄さんがいたそうですが、戦死されたそうです。
当時の資本金は100万円。
1958年、瑞穂は資本金100万円で株式会社吉野家を設立。当時の年商の6倍、1億円事業を目指した。築地市場は日祝祭が休市のため、1日に1000人以上の入客が必要であった。わずか15席の店舗でそれだけの客を迎えるために、接客、調理、盛り付けなどあらゆる面で工夫が重ねられた。牛丼以外のメニューはすべて排除。牛丼単品での勝負に打って出た。
出典:吉野家の歴史|吉野家公式サイト
しかし拡大路線が急すぎたのか、1980年には120億円の負債をかかえて会社更生法を申請、倒産しています。
更正の計画が終わったのが1988年。
この時代は、後のBSE問題とともに、吉野家にとって苦しい時代だったと言えるでしょう。
株式上場はいつから?
1990年に店頭登録銘柄として上場。
2000年には東京証券取引所の第一部に上場しています。
「うまい、やすい、はやい」はいつから?
2005年からです。
「・・・?? もっと昔からじゃない?」
ですよね。
実は「はやい、うまい」は1958年に吉野家が株式会社として創業した時からの理念。
当時、二代目の松田瑞穂社長の元、吉野家は合理化をはかっていました。
牛丼そのものも、焼き豆腐や筍をやめて、牛肉とタマネギだけのシンプルなものに。
さらに1962年には、「はやい、うまい、やすい」に変更。
時代のニーズを察知して、フレーズを変えています。
これも後に語順が変わり、「うまい、はやい、やすい」と変更。
そして2005年から、「うまい、やすい、はやい」になったというわけ。
じっくり眺めていると、なるほど吉野家が時代をどう読んできたかが見えてくる気がしますね。

有田焼の丼はいつから?
吉野家と言えばメインメニューの牛丼ですが、さらにその牛丼の器もトレードマークのひとつです。
あれは佐賀県の有田で作られる有田焼のもの。
事業の展開とともにモデルチェンジしているようですが、創業当時から一貫して有田焼の器を使用しているそうです。
47穴のお玉はいつから?
公式サイトでは「四十七の瞳」ともよばれる“おたま”。
牛丼をもりつける際に、たれをまんべんなくご飯にかけるために使われているものです。
瑞穂氏が試行錯誤の結果たどりついたもので、公式サイトでもこだわりの調理器具のひとつとして挙げられています。
何となく聞いた事がある方もいらっしゃるでしょう。
これはいつ頃から使われているのか気になっているのですが、調べきれていません。
すみません。
多店舗化はいつから?
吉野家と言えば、いまや押しも押される全国チェーン。
しかし、上でみたとおり、最初は魚河岸にある個人商店でした。
多店舗化を強力に推進したのは吉野家二代目であり、法人としての吉野家創業者の瑞穂氏。
1968年、新橋に2号店を開店しています。
これに先立つ1965年に年商1億円を達成した瑞穂氏は、次に三億円を目標にします。
徹底した合理化、効率化で成功したけれど、そこからさらに上となると、別な要素が必要だった。
そんな時、経営コンサルタントの渥美俊一氏と出会い、チェーンストア理論を学んでいきます。
ちなみにこの渥美氏の周囲にはダイエーの中内功氏、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏、ジャスコの岡田卓也氏ら、そうそうたる経営者の名前が連なります。
参考:渥美俊一 – Wikipedia
1973年には、初めてのフランチャイズ出店となる神奈川県小田原市の店舗が開店しました。
吉野家の海外展開はいつから?
1975年に、アメリカのデンバーに開店。
牛丼をビーフボウル(Beef Bowl)と称して販売しました。
アジア方面への初出店も着々と果たしています。
1991年、香港。
1992年、中国・北京に出店。
1997年、シンガポールに開店。
2001年、フィリピンに開店
2004年、中国・深圳に開店。
2010年、インドネシア。
2011年、タイ。
米国産牛肉の使用はいつから?
話が経営の方面に傾いてしまっていますね。
最後に身近なほうに戻します。
吉野家の牛丼、今でこそ輸入牛という前提で食べていますが、元々は国産の牛肉でした。
創業時が明治時代だったことを考えると、これもすごいなと思いましたが、以後しばらくは国産の牛肉を使っていたようです。
輸入牛肉を使い始めたのは1970年から。
国産のものに混ぜ込んで使っていたそうです。
法人化し、チェーン展開しようとすると、牛肉の調達を国産のみに頼ってはいられなくなったのではないでしょうか。推測ですが。
牛丼の「特盛」はいつから?
唐突ですが、吉野家には「特盛」というメニューがありますよね。
大盛りのさらに上をいくガッツリメニューです。
これは1991年10月から全店に導入されました。
1991年4月には、牛肉の輸入自由化がありました。
これにより、食材の調達のネックが外れたのかも知れません。
おわりに
以上、牛丼チェーンの巨人・吉野家の “いつから” についてでした。
他にも面白いものが見つかったら追記してみたいと思います。
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