升田志郎とは?数寄屋大工の匠・ロックフェラー邸を手がけた中村外二工務店の棟梁のプロフィール

今回は数寄屋大工升田志郎さんについての情報を集めました。

日本の木造建築の技術は世界に冠たるもの、と多くの日本人が信じています。でもその実体は、なかなか目に触れる機会がありません。今回、NHKの番組でこちらの升田志郎さんが特集されるため、神秘的とも思えるその匠の技の一端が垣間見えるのでは、と楽しみにしています。

というわけで以下、升田志郎さんが取り上げられる番組の名前放送時間、升田志郎さんの年齢やご経歴などのプロフィール代表的なお仕事著作などを調べてみました。
また升田志郎さんの師匠にあたる中村外二氏のことや、升田志郎さんが現在所属している会社のこと、そして番組予告に名前が出ているロックフェラー邸のことなども確認しています。

番組を一歩深く楽しむためのご参考になれば幸いです。

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升田志郎さんが特集されるNHKの番組の名前と放送時間

番組の名前は『プロフェッショナル 仕事の流儀』
その第325回「この道は、我を生かす道」と題されて、升田さんが特集されます。

放送時間は2017年5月22日(月)22時25分から、23時14分になります。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』には再放送もあります。
こちらは金曜日午前1時25分から、2時14分まで。曜日は金曜ですが、木曜日の深夜になりますのでご注意ください。

升田志郎(ますだ しろう)の年齢などプロフィール

以下、升田志郎さんの(ますだ しろう)のプロフィールをわかる範囲で簡単に表にしてみます。

升田志郎さんのプロフィール

項目 内容
名前 升田志郎
読みかた ますだ しろう
生年月日 1951年生まれ
年齢 66歳
出身地 京都市
所属 中村外二工務店
社会人デビュー 1967年
ジャンル 大工棟梁
結婚 不明

升田志郎さんの歩み

升田さんは1967年、中村外二棟梁に弟子入りしています。
後でまた書きますが、中村外二さんは数寄屋の名工。その筋では知らない人はいない存在です。
その中村棟梁のもと、京都の洗練された数寄屋師の技術を吸収、25歳のときに大工世話役(棟梁)となり、茶室の墨付を任されます。
(墨付とは、木材を加工する時に墨で線をつける作業。単純にカットするわけにはいかず、その木材のクセを見極め、適材適所を選定していく重要作業。転じて責任者という意味だと考えてよいのだろうと、私は理解しています。)

この時以来、升田志郎さんは棟梁として活躍。
2014年には、厚生労働省「現代の名工」を受賞しています。

代表作には、
・京都迎賓館主賓室座敷、
・中里太郎右衛門茶室、
・小松市仙叟屋敷・玄庵等
が挙げられています。もちろんこのほかにも多くの文化的にも重要な数寄屋建築を手がけていると思います。

また、番組の予告では関連の仕事として
・ジョンレノン邸
・ロックフェラー邸
の名が出てきます。
このロックフェラー邸については、後で少し詳しく触れたいと思います。

番組内では築100年超の料亭の大改修を扱うようですが、それがどこなのか、気になりますね。
これは情報が無いので、放送を待ちたいと思います。

 

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数寄屋大工とは? 宮大工との違いは?

さて、“そもそも”な話になってしまいますが、数寄屋大工とは何なんでしょう?
伝統的な木造建築のうち、数寄屋を扱う職人さんだということはわかりますが、そもそも数寄屋って何?という方もいらっしゃるでしょう(私もそうです)。

困った時のwikipediaということで参照してみますと、

数寄屋造り(すきやづくり)とは、日本の建築様式の一つである。数寄屋(茶室)風を取り入れた住宅の様式とされる。 語源の「数寄」(数奇)とは和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことであり(数寄者参照)、「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味する。 数奇屋大工(大工を参照)が造る木造軸組工法の家屋。
出典:数寄屋造り – Wikipedia

私なりの理解ですが、風流好み=数奇者が、好きに作った家、ととりあえずは理解。根本には茶室があることも念頭に置いときます。

茶室が登場したのは安土桃山時代。当時は書院造が権威ある造り方だったのに対して、茶人たちはそういう堅苦しさを排除して質素・洗練を旨とする建築を好んだ。

升田志郎さんが棟梁をつとめる会社の社長・中村義明氏は、あるところで「書院造はアールデコで、数寄屋造はアールヌーボー」と例えています。専門的にはいろいろ意見もありそうですが、固さと伸びやかさの違い・似て非なる、ということでしょう。

また、数寄屋大工と宮大工の違いについても中村義明氏は言及しています。
それによれば宮大工は寺社建築が専門で、隙のない造りをする。
数寄屋大工は床の間を中心に考え、そこに掛けるものに合わせて造る。

参考:数寄屋大工の第一人者に話を聞く~中村外二工務店 | 関西ひとりジョーズ紀行 – 楽天ブログ

これも私のつたない理解ではありますが、宮大工のほうは大きな建物の全体から入り、数寄屋大工のほうは建物の細部から発想して行く、ということかな、と思います(あくまで私の理解です)。

番組の予告文にはこうあります。

升田は、時に樹齢100年を超える木材の美しさを極限まで引き出す卓越した技術と、光や影の差し込み具合までも計算した圧倒的なセンスで唯一無二の空間を生み出す。
出典:放送予定 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

木材の細部にこだわり、空間に設えられた際の見え方を強く意識した造り方は、荘厳な寺社建築とは違った見方・感じ方が必要なのでしょう。

升田志郎さんの書籍

升田志郎さんのお考えは、今回の番組の中でも明らかにされると思いますが、これまでも書籍にとりあげられています。

『技を継ぐ 21世紀の匠たち』京都新聞社
*目次に、数寄屋大工の肩書きとともに、升田志郎さんのお名前があります。

『新建築臨時増刊 京都迎賓館 継承される日本文化と技能』
*こちらには、「木の一本一本と対話する」と題されたインタビューが掲載されています。

師匠・中村外二(なかむら そとじ)さんのこと。

プロフィールのところでふれましたが、升田志郎さんの師匠は中村外二さん(1906年 – 1997年)。
富山県小矢部市(旧石動町)のご出身で、1921(大正10)年に大工・水田常次郎に弟子入り。
京都の数奇屋大工の棟梁として活躍なさった方です。

主な仕事は、
・伊勢神宮茶室
著作に、
・『中村外二数寄屋建築施工集』
・『匠技-大工・中村外二の仕事』

数寄屋建築の大御所で、NHKの『日曜美術館』でも特集されたことがあります。


「僕のオヤジは、例えばお施主さんが5000万円で造ってくれ、というときに、いつも1億円で造りましょう、と倍の予算を言うんです。お施主さんはいつもぎょっとするんですが、オヤジは『あなたの未来を、20年後をつくるんです』と答えていました」
出典:数寄屋大工の第一人者に話を聞く~中村外二工務店 | 関西ひとりジョーズ紀行 – 楽天ブログ

との発言は、先ほど宮大工との違いでもご登場いただいた中村義明さん。
中村外二さんの息子さんなんです。

中村外二工務店

二代目となる義明さんは、社長となった今でも、父である中村外二の名を冠して会社を続けています。
升田志郎さんはそこで棟梁として、中村外二氏の匠を継承・発展させている。

そんな日本の数寄屋建築の拠点「中村外二工務店」の所在地は、京都府京都市北区紫野西御所田町15。

義明さんが施行実績として挙げている案件が凄いです。
「大阪万博日本庭園内茶室」(1970年)、「ニューヨーク ロックフェラー邸」(1972年)、「松下幸之助邸茶室」(1973年)、「フィラデルフィア日本書院」(1976年)、「伊勢神宮茶室」(1982~85年)、「神慈秀明会祭事棟」(1984~86年)、「京都迎賓館主賓室座敷」(2006 年)、「東京国際空港国際線旅客ターミナル4F江戸小路」(2012年)、「俵屋旅館」「菊乃井」「和久傳」各店舗新築・改修工事(1973年~現在)。

伝統を守ると活躍の場は国際的にも広がるんですね。

興石に行きたい!

義明さんの代になり、中村外二工務店には指物部と家具部が作られます。そして、それらをを販売するお店が新たにもうけられます。
それが「興石(こうせき)」。
建物だけではなく、内装や照明なども同じ職人が手がける中村外二工務店だからこそ可能なアプローチと言えるかも知れません。
お店にはどなたでも訪れることができるそうです。

興石の場所はどこ?

中村外二工務店と同じ京都府京都市北区紫野西御所田町15にあります。
地図も乗せておきます。

「動かす」に切り替えると操作できます。

ロックフェラーのポカンティコヒルの家

『プロフェッショナル』の予告文には、師匠の中村外二氏は、ロックフェラーの家を手がけたと書いてあります。
義明さんの実績のひとつとしても挙っていましたが、ロックフェラーと言えば世界的な大富豪、現代世界の影の王とすら呼ばれる人物、ないし一族ですよね。
ネットでは陰謀論のラスボスとして人気(?)です。

そんなインターナショナルな財閥と数寄屋???ってなりません?
升田志郎さんが関わったのかどうかも気になります。

というわけで、このロックフェラー邸というのが何なのか、調べてみました。
おそらく、という注釈付きですが、このロックフェラーの家は、「ポカンティコヒルの家」と呼ばれているものだと思います。
日本の建築家・吉村順三氏が設計、同僚だったジョージ ナカシマが220点以上の家具を製作した、世界的建築です。

日本の伝統とモダニズム建築の融合をはかった吉村の意欲作で、竣工は1974年。
繊細な仕上げが要求される木組み部分などは、日本から職人を呼んで施行したそうです。
おそらくこの時呼ばれたのが、中村外二工務店の数寄屋大工のエースたちだったんでしょう。

家の主は、正確にはロックフェラー三世だそうです。

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おわりに〜升田志郎棟梁まとめ

以上、数寄屋大工・升田志郎氏と、その周辺情報を集めてみました。

升田志郎さんは1951年生まれの現在66歳。
中村外二棟梁に師事し、以後一貫して数寄屋大工の道を歩んでこられました。
ベールに包まれた技と、それを支える哲学が、少しでも番組で明らかにされるのを期待しています。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

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