「大人の遊び」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか?
人それぞれのイメージがあると思うのですが、それらの中でも別格なのが京都、とりわけ祇園で芸妓さんを呼んでの一席、じゃないでしょうか。
基本的には一見さんお断りの紹介制のため庶民には縁遠い世界。それだけに洗練された大人ワールド感が満載です。遊び方にも暗黙の作法がいろいろありそうで、私のような人間には近寄りがたい、一種神秘的な香りすら漂う世界。
そんな神秘のベールに包まれた場をコーディネートするのがお茶屋。料理や舞妓さん・芸妓さんを手配してお座敷を設定する、大人の遊び場のプロモーター的な存在です。
というわけで今回は、このお茶屋の中でも伝統ある赤前垂の系譜「富美代」の八代目女将をつとめる太田紀美さんに注目してみました。
太田さんの年齢や出身高校などのプロフィールや、女将になるまでのご経歴やご結婚、それとお茶屋・富美代の厳しい伝統や場所、動画、お茶屋さんとのつき合い方など、周辺情報も含めてまとめています。
また、太田紀美さんはNHKスベシャルでもとりあげられるそうなので、その放送時間についてもつけています。お茶屋の世界をかいま見られるまたとない機会になりそうです。神秘のベールの向こう側・大人の遊びに興味のある方は必見でしょう。
太田紀美のプロフィールと経歴
太田紀美さんは1940年生まれで、現在77歳。
高校とその後
京都女子高校をご卒業なさった後は洋裁学校に通われていました。
和裁ではなく洋裁という点が少し意外な気がしますが、このあたりの詳しい情報はありません。
柳橋・亀清楼で修行
その後、東京の台東区柳橋にある亀清楼(かめせいろう)で修行を開始。
明治時代、柳橋は新橋とともに柳新二橋(りゅうしんにきょう)と呼ばれた人気の盛り場でした。
また、当時は柳橋の芸者さんのほうが格上で、なかでも亀清楼は柳橋の中心的な料理屋だったと言います。創業は安政元年、伊藤博文が通ったほか、森鴎外、永井荷風といった近代文学の巨匠の作品にも店名が登場するほどの格式ある店です。
富美代の女将へ
太田さんはその有名店でがっつり修行をなさった後、1961年から若女将として、家業でもあった富美代で活躍し始めます。
そして、それから13年後の1974年に、富美代の八代目女将になりました。
以来40年余りに渡って、祇園文化の一翼を担う重責を背負ってきました。
以下太田紀美さんのプロフィール表です。
太田紀美さんのプロフィール
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 太田紀美 |
読みかた | おおた きみ |
生年月日 | 1940年 |
年齢 | 77歳 |
高校 | 京都女子高校 |
現在 | 富美代(8代目女将) |
お茶屋「富美代」について
さて、さきほど東京・柳橋の亀清楼の由緒について少しご案内しましたが、太田紀美さんが女将をつとめる「富美代」も格式高いお茶屋です。
お茶屋について
と言っても、お茶屋(おちゃや)自体が一般には馴染みがありませんよね。
わかりやすく言えばお茶やは芸妓さんを呼ぶ店を指し、現代では風俗営業に属しています。営業は京都の祇園や先斗町(ぽんとちょう)などに限定されています。大きな特徴は、お茶屋自身は料理を提供することがありません。仕出し屋さんなどから調達して席を構成していきます。
お茶屋の歴史は古く、昔は遊女のマネジメントめいたことや、花街のインフォメーション、関係する業者の手配所のような役割を果たしていました。
これは私の推測ですが、お客さんの座席を仕切るためにお茶屋は花街業界の全体に顔が効く存在になり、それが発展して、全体の仕切り役的な機能を果たすようになったのかも知れないと思います。
「一見さんお断り」のお茶屋で遊ぶには
京都のお茶屋はいわゆる「一見さんお断り」が基本。顔なじみの紹介がないと、関わることすらできません。
庶民からすると、この暗黙の紹介制が神秘のベールにもなっているわけですが、これは何もお茶屋が“お高く”とまっているからではなく、合理的な理由があるようです。
というのも、お客さんをもてなすのにお茶屋さんは芸妓さんたちの手配をしなければなりません。もちろん料理も必要です。これらの費用は、お茶屋さんが関係業者に先に支払う。お茶屋さんにお金が入るのは、お客さんの支払いがあった後になりますから、その間の空白の時間はお茶屋さんが、いわばリスクをとっていることになる。それ故、信用のある馴染みのお客さんか、そうしたお客さんの知り合いの方を相手にビジネスをしているというわけです。
伝統あるお茶屋さんでも、資金力の面では現代の企業とは比較にならない規模ですから、こうしたリスクは避けたい。また、一定の客層を相手に伝統の“遊び文化”を守りつつ丁寧なもてなしをする上でも、合理的な方法なのかも知れません。
赤前垂〜お茶屋「富美代」の格式
さて、太田紀美さんが女将をつとめる「富美代」は、そんなお茶屋のなかでも三指に入る格式。
かつて祇園華やかなりし頃は、数百件ともいわれるお茶屋があったとか。
それらのうち、今で言えば星マーク的な扱いをされていたのが「赤前垂(あかまえだれ)」。当時、七件のお茶屋のみに許されてました。
富美代の前身・富田屋もその赤前垂のひとつ。その仲居頭の美代という女性が独立し、名前の美代をに富田屋の富を冠して富美代が生まれました。そうお業は1800年代初頭と言われています。
赤前垂のお茶屋のうち、現在も続いているのは
・祇園一力亭(京都府京都市東山区祇園町南側569)
・廣島屋(京都市東山区祇園町南側570-1)
そして太田さんの「富美代」
だけだそうです。
お茶屋・富美代の場所はどこ?
所在地は京都市東山区八坂新地末吉町103。
地図で示すと以下になります。
ストリートビューでは伝統の富の字を染め抜いた暖簾が見えます。
こちらは富美代の動画。
富美代の伝統・1「絶対女系」
富美代には、創業以来の伝統があります。
それは「絶対に女系」という家訓。
つまり、初代の美代以来、代々、女系で店を継承してきた、ということです。
太田さんも 富美代の家に生まれ、幼い頃からこの伝統を継承するよう意識してきたものと思われます。
太田紀美さんの跡継ぎ、太田直美さん
ということは、八代目女将である太田紀美さんの後を継ぐのは太田さんの娘さんということになります。
娘さんはすでに 富美代で若女将として活躍なさっているそうです。
九代目女将となる宿命を受け入れた娘さんの名は太田直美さん。
意外なつながりですが、この太田直美さんは、先日引退したフィギュアスケートの浅田真央さんに舞の指導をしたことがあり、真央さんの憶えの早さについてコメントもしています。
浅田選手は2015年に公開された寝具のCM撮影で京都・祇園のお茶屋「富美代」を訪問。京舞の指導を受けて舞を披露した。若女将の太田直美さん(45)は「常にスケートの振り付けをされているからか、覚えが早く、立ち居振る舞いが美しい。とても初めてとは思えなかった」と感じた。「美や芸術にかかわる新しい分野で、活躍されると思う」と期待した。
出典:「真央ちゃん、お疲れさま」 ゆかりの人たち、ねぎらう | ウィンタースポーツ | スポーツブル / SPORTS BULL
富美代の伝統・2「結婚してはならない」
お茶屋・富美代にはもうひとつの伝統があり、それは、女将は結婚しないということ。
若女将の直美さんのお父さんにあたる方はいらっしゃるはずですよね。でも、情報を見つけきれていません。
結婚しないままに娘をもうけて、さらにその娘にお茶屋を継がせる。なかなかに高いハードルですが、太田さんは「これが私の人生やな、天命やな」として笑顔を絶やさないと言います。
私のような者の感覚では、結婚せずに子をもうけろという家訓からしてそもそも謎過ぎなのですが、それを笑顔で受け入れる太田さんのような方の感性・・・伝統とはいえ、祇園に感じている神秘のベールがさらに深まった気がします。
八坂女紅場学園の指導者として
太田さんは伝統の富美代の女将として、後進の指導にも力を尽くしています。
そのひとつが八坂女紅場学園(やさかにょこうばがくえん)。
明治時代に舞妓さん、芸妓さんらのために創設された施設で、現在は太田さんが理事長をつとめています。
生徒は祇園の舞妓さん、芸妓さんたち。年齢も下は15歳から、上は80歳を超える方まで在籍しており、京舞、鳴物、茶道、三味線などの必須スキルのほか、能楽・長唄・笛・華道・書道、また絵画などなど、芸を磨いています。
学園を卒業する時はすなわち芸妓・舞妓を卒業する時だそうです。
通常の学校と違い、授業は個人レッスンが基本。先着順ですが、後輩は後から来た先輩に順番を譲らなければならないそうです。
もっとも、先輩の稽古の様子を見学していれば、それはそれでスキルアップになるのかも知れません。
太田紀美さんがとりあげられるNHKスペシャルの番組名と放送時間
最後になりましたが、太田紀美さんがとりあげられる番組名は、NHKスペシャル『祇園 女たちの物語~お茶屋・8代目女将(おかみ)~』。
放送時間は、2017年6月3日(土)21時00分から、21時50分まで。
再放送も予定されており、こちらは2017年6月7日(水)午前0時10分からです。
いずれも放送はNHK総合です。
お茶屋の世界を、中心人物の一人である太田紀美さんの視点から見られるまたとない機会となりそうです。
お茶屋「富美代」八代目女将・太田紀美さんまとめ
以上、簡単ですが、お茶屋「富美代」八代目女将・太田紀美さんについての情報でした。
太田紀美さんは1940年生まれで、現在77歳。
伝統ある赤前垂のお茶屋の系譜「富美代」の家に生まれ、東京・柳橋で修行。
結婚はせず、娘が継ぐという伝統に従って京都に戻り、富美代の女将になり、以来八坂女紅場学園の理事長として後進の指導にもあたり、祇園文化の一翼を担い続けています。
一口に伝統というのは簡単ですが、それを受け入れ、半世紀近く守ってきた女性の生き様に思いを馳せざるを得ません。
NHKスペシャルも楽しみです。
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