*アイキャッチ画像出典:欅坂46「真っ白なものは汚したくなる」TYPE-Aジャケットより
平手友梨奈さんのソロ『自分の棺』、もうお聴きになりましたか?
多様なラインナップで楽しませてくれる欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』の中でも、この『自分の棺』はひと際異彩を放っています。
今回はこの『自分の棺』について、歌詞の意味を中心に、アルバムタイトルとの関係など、あらためて書いてみたいと思います。
平手さんの『自分の棺』をとにかく味わい尽くしたいという方にご覧いただけたらと思います。
ですが、個人的な感想・解釈が続きますので、ご自身のイメージを大切になさりたい方にとっては不快なものかも知れません。ご注意ください。また正解を主張するものでもありませんので、そういうものとしてご覧ください。
それと、事情により歌詞そのものを掲載することはできません。せっかく来てくださったのに心苦しい限りですが、専門サイトをご参照くださればと思います。
(*楽曲の公開を機に記事を書き直しました。以前このページで公開していた歌詞の予想記事は次のページに送っています。)
『自分の棺』の世界
『自分の棺』の曲調は昭和歌謡を色濃く踏襲。平手友梨奈さんのソロ曲ではもうおなじみですね。
『山手線』『渋谷からPARCOが消えた日』とともに、どこかであの昭和の大アイドルを意識した匂いも感じます。
今回はその昭和歌謡街道をさらに突き進み、ついにエレジー路線に。
あわや演歌かと一瞬思うほど濃い歌詞になっています・笑
描かれた風景は夜の繁華街を彷徨う平手さんで、これは『渋谷からPARCOが消えた日』と同じ。内容もどこか『PARCO』の時間軸上にあるような気もしましたが、それはまた少し後のほうで書かせていただきます。
まずは全体の印象から。
『自分の棺』の歌詞の内容
歌詞を読むと、まず迫ってくるのは強烈な自己嫌悪と、すさみきった心。
ヒロインは深く傷ついていて、それが元で絶望し、後悔もしています。
ですがその失敗を最初からわかっていたことだと諦め、感情を麻痺させることで受け入れようとしている。
たいへん痛々しい内容です。
一方、逆接的なことですが、この沈鬱な歌詞と曲調の背後には、ヒロインがとても幸福な時間を過ごしたことも滲んでいます。
やがて失われてしまうのではないかと心のどこかで感じていた“はかない夢”・“愚かな愛”。それを生きていた束の間、「あたし」は満たされていたはずです。その時間が幸福だったからこそ、突き落とされた絶望も深いものになってしまった。
全体の諦め感の背後に漂う濃密な情念が、「あたし」の愛の深さを物語ります。
やっぱり駄目だった、わかってたはずなのに。
この胸の痛みは希望を信じた罰なんだ。
夢をもった愚かな自分は、地獄へ行くのがふさわしい。
自分の中にある愛ごと、焼き尽くしてしまおう。
棺に入れて・・・
こんなストーリー、、、せつないです・泣
死装束をまとった夢・愛
ところで『自分の棺』はTYPE-Aの最後に収録されています。
アートワークになっているのは、うつろな表情の平手友梨奈さん。記事の冒頭で引用させていただいているジャケ写です。
そこで白い衣装をまとった平手さんは、『自分の棺』の「あたし」だと言ったら、唐突すぎるでしょうか?
歌詞を読み、痛々しい歌を繰り返し聞いているうちに、そんな気がしてきました。
純白の衣装は死装束。うつろな平手さんは夢をもった罰を受け入れ、葬られようとしている「あたし」、あるいは「あたし」のなかの夢・愛そのもの。
やがて業火で焼き尽くされ、真っ白な灰にされる運命に落とした眼差しがとても悲しく、そして美しいです。
真っ白なものは汚したくなる
その平手さんの脇に添えられたアルバムタイトル、『真っ白なものは、汚したくなる』。
白を汚す、という行為についてはいろいろな理解があると思うのですが、ここではポジティブな意味で使われているんじゃないかと、私は思っています。
多くの場合、白という色は黒との対比して“よい意味”として使われます。でも一方では死の色、骨の色だったりもします。純粋なものは、それ以上動きようがないという点では死に似ている。
同時に、完璧なもの・真っ白なものはこの世にはあり得ない。もし存在するとすれば、それは偽りを含みながら、それを押し殺し、取り繕っている可能性がある。だから目の前に真っ白なものがあると、私たちはそれを汚してみたい衝動に駆られる。
ご異論も多々あろうかと思いますが、こう解釈すると「白を汚したい」という衝動は、これまでの欅坂46のテーマに通じてきます。
隠された抑圧や欺瞞に対して声を上げる。表面上は安定し、調和しているかのように見えるものに波風を立て、不協和音をかきならすことを恐れない。今回のアルバムのタイトルは、白に塗り籠められ隠蔽されているその他の色に表現を与えたい—つまり表面上は押し黙っているマイノリティに声を与えたい、という意味かな、と感じるわけです。
偽りの幸せと『PARCO』
長くなりましたので、少しだけ『渋谷からPARCOが消えた日』との関係について。
冒頭でふれましたが、『自分の棺』は、歌の風景からして『PARCO』に近いものがありますよね。
あの“ファッションビルを見上げていた少女”の後日談のようにも感じられます。
『PARCO』ではショーウィンドウが、抑圧からの解放の象徴になっていました。
でも、それが幻であることも予見されていて、「叶い“そうな”気がする」と歌われてもいました。
ほんとうに望みを叶えてくれるわけではないことはわかっていたけれど、それくらいしか希望がなかった。
ですが『自分の棺』になると、ショーウィンドウは偽りの幸せの象徴であることが完全に看破されていて、拳で突き破る対象であったり、愚かな自分の鏡として位置づけられています。
ショーウィンドウの向こう側にあるのは、誘うけれども決して届くことのない幻の幸せ。
ヒロインはその幻を、愛や夢などのほんとうに守るべき幸せと混同して、希望そのものを火葬しようとしている。
けっこう過激なヒロインですが、それだけ大切なものを失った、ということなのでしょう。
ただ、本当の幸福・愛や夢といっても、値札のついた幸福との境界線は、それほどはっきりしたものではありません。
本当の幸福を早々に諦め、消費文化がもたらす幻の幸福を甘んじて受入れることで、深々と傷つき絶望することを避けている、そんな生き方を選んでいる人も少なくないかも知れない。欅坂46が興味深いのは、実は欅坂自身がこのような幻でありながら、幻の幸福を超えろと促している点にあります。
・・・少し書きすぎました。
ともあれ、ほんとうの幸せと向き合うのは、けっこう勇気が要ることですよね。
まとめ
以上、平手友梨奈さんの第三弾ソロ『自分の棺』についての所感でした。
話があっちこっち脱線しまくってしまいましたが、
- 希望をもったことを悔やみ、自らを罰して葬ろうとするヒロイン
- その姿がアルバムアートワークの平手さんに重なる
- 『真っ白なものは汚したくなる』は、これまでの欅坂革命の延長線上にある
- 『自分の棺』は『PARCO』の続き
このあたりが私なりにひっかかったポイントです。
もしここまでご覧くださった方がおられたら、感謝いたします。
個人の感想に最後までおつきあい下さり、どうもありがとうございました。
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次のページは、『自分の棺』が公開される以前に、そのタイトルに惹かれて書き連ねた文章です。
結果的に、内容は的外れなものに終わりましたが、メモとして残しています。
もし平手愛があり余っている方がいらっしゃいましたら、ご感想などいただけると嬉しいです。
コメント
こんにちは。
初めてコメントさせていただきます。
1stアルバムのタイトル『真っ白なものは汚したくなる』の意味は、秋元康氏自身が、7月30日の読売新聞日曜版でコメントしましたね。
親から買ってもらった真っ白なスニーカーを初めてはいた子供が、なぜか自分から水たまりの中に入り泥だらけにして汚してしまったときの想いを描くことで、大人になりたくない自分と大人になってしまえという衝動との葛藤を表現した、とあります。
白=子供の純真さ、汚れ=大人になること、だそうです。
『自分の棺』は、「子供の自分の葬送」を意味するのかもしれません。
平手友梨奈に対し「平手がまず不協和音を発する」ことを期待した秋元康氏が、「純真さを捨てろ」と言っているのかも。
[…] 歌詞の解釈について、ひびこれというブログ”自分の棺”歌詞の意味再考で鋭い分析がなされているので紹介しておきます。 […]
言及、どうもありがとうございます!
素晴らしい考察です。
新曲の「ガラスを割れ」「ガラスヲワレ」はまさにあなたの考察通りの展開ですね。時々、おじゃまさせていただきます。
とっくーさん、記事をご覧くださり、またおほめのコメントをどうもありがとうございます。
ほめられ慣れていないので、何とお答えしてよいかわかりませんが、とても嬉しいです。
『ガラスを割れ』の記事も書いてみましたので、よかったらご覧いただけたらと思います。
MV、楽しみですね♪