自分の棺の意味と歌詞にハラハラ!平手友梨奈の新ソロ(欅坂46)
欅坂46のファースト・アルバム、待ち遠しいですね。
タイトルが『真っ白なものは汚したくなる』。
攻めて来てます♪
さらにてち推しにとっては、新たなソロ曲の発表もあり、嬉しい限り!
・・・だったのですが、あんなことがあって、ちょっとビミョーな空気に。
というのも新曲のタイトルは『自分の棺』。
どうしてもイメージがそっちに引っ張られてしまい、
「このままリリースできるの?」
「歌詞次第によっては、中止になるんじゃ?」
などと、ハラハラしてしまう。
で、こう↑なっちゃうこと自体も、たいへん腹立たしいわけです。
というわけで今回は、正しく『自分の棺』を受け止めたいと思いまして、自分なりにこの曲の歌詞の内容や意味を、ほぼタイトルから類推することにしました。
私は一般のヲタなので、ファーストアルバムについて特別な情報をもっているわけではありません。
なので、以下に書くことが的を射ているかどうか全く保証はありません。つか、ほぼ妄想です・笑
新譜が待ちきれないてち推しのみなさんや、私と同様、早くあの不愉快な事件から立ち直りたいみなさんの、間つなぎとして読んでもらえたら、と思ってます。
『自分の棺』はてちの棺?
さて、手持ちのヒントは曲のタイトルしかありません。
とりあえずここから。
自分の棺とは、読んで字のごとく、自分自身が入る棺桶のこと、ですよね。
平手さんが歌うので、平手友梨奈の棺ということになります。
秋元康の作詞作法
作詞は秋元康さんでしょう。
お金儲けがうまい以上に作詞家としても力がある秋元さんが、これにどんな象徴的な意味をこめるのか?
これが鍵、ですよね。
秋元さんは曲を書く際に、その歌い手の「今」を考える、というような意味の発言を、これまでにしています。
言葉そのものとしてこう言ったわけではないので、あくまで私の理解ということになりますが、どういうことかというと・・・
その子が今、
- 何を考えているのか
- どんな状況におかれていて
- 何を背負い
- どんな風に戦っているのか?
- あるいはいないのか?
こういうことを把握した上で、詩を書く。
そうやってできた詩を歌うことで、その子の曲に生命が宿る、というわけですね。
『サイレントマジョリティー』でも『不協和音』でも、欅坂46のその時の雰囲気や状況をとらえて書いた詩だった、とラジオで話していました。お聞きになった方も多いでしょう。
だからこそメンバーも興味を持ってその詩を受け止め、感情をこめてパフォーマンスできる。
それが、私たちにも伝わる。
欅坂のパフォーマンスは、まず詩の読み込みから始まる、と、これも何かの番組で放送されていましたね。
なるほど、と思います。
これを踏まえると、『自分の棺』も、平手友梨奈さんの「今」を表しているんじゃないかと推測されます。
平手友梨奈の成長速度
私がすぐに連想するのは、平手さんの凄まじい成長スピード。
『二人セゾン』の何かがとり憑いたようなソロも驚きましたが、『不協和音』はさらにそれを上回っていました。
『サイマジョ』の目力にあらわれていた才能の片鱗は、どこまでいくのかというくらい展開しています。
あまりに成長が速いので、少し違和感を感じているファンもいるんじゃないでしょうか。
「うんちょこちょこちょこぴー」とかやっていたてちは、もういないのかも知れない。
『こち星』ではよくケラケラと高笑いしていて、私もあの笑い声が好きでしたが、最近は聞けていません。
声がでなかった、ということもありますが、『けやかけ』でも以前とは表情が明らかに違いますよね。
寂しい気もしますが、あの頃のてちはもういないんじゃないでしょうか?
年齢的にも大きな変化がある時期ですし、ついこの前までランドセルを背負っていたようなあどけない少女はもういない。
自分を変えようと思ってドキドキしながらオーディションを受けた平手友梨奈はもはや過去のもの。
今は、与えられた状況をひたすらに駆け上がろうと覚悟を決めた一人の“アイドル”として存在している。
そんな気がします。
棺の意味
それをはっきりと意識するために、過去の自分を葬るための“棺”が、今の平手さんには必要。
『自分の棺』を歌うことで、幼かった自分にはっきりと別れを告げ、さらに成長する覚悟を決める。
歌詞の具体的な内容までは推測できませんが、このような内容が暗示されている歌詞になるんじゃないかな、と。
ひとつの想像ですけど。
棺の二つのイメージ
勝手なことを言うのもけっこう恥ずかしいものです。
おそらく外れているでしょうし(笑)。
恥のかきついでですが、さらに個人的なイメージを書かせていただくと、『自分の棺』と聞いた時、真っ先に連想してしまったMVのシーンが二つあるんです。
W-KEYAKIZAKAのすれ違い
ひとつは『W』のなかの、あのすれ違いのシーン。
欅坂を登り始めた平手さんが、欅坂ではなかった時の平手さんとすれ違います。
あの時の、何とも言えない表情。
「もう、戻れないんだな」
的な。
普通に考えて、アイドルになるってたいへんですよね。
相当なハードスケジュールだし、生命の危険すらある。
一般的な人生とは全く違います。穏やかに暮らして行きたい、とか、もうないんです。引退したって、これだけ売れちゃったら生涯、「欅坂46の平手友梨奈」が、つきまとうでしょう。
そんな迷いが、平手友梨奈さんの中にもどこかにあるはず。
いや、もはや「あったはず」と過去形になっているのかな。
上のほうで書いてきたのは、この「Wのすれ違い」のイメージに沿って想像したものです。
未来を語るガラスの棺
もう一つのイメージは、『語るなら未来を』の割れたガラスのイメージ。
自分の棺はガラスでできているような気がしません?
おとぎ話的すぎますかね(笑)?
少なくとも、木製+覗き窓みたいなのがついてるやつじゃない気がするんですけど。
ここから展開される『自分の棺』のストーリーは、上とは全く違います。
ガラスの棺は割れるべきもの。
その中に横たわっているのは、死んでいた過去の自分。
小さく狭いガラスの中に閉じこもり、その中で死んだように横たわっていた自分。
そんな“心の中のガラス瓶”みたいなものは壊してしまえ、
見えないバリアから外に出れば、草木が香る生きた別世界がある、
という・・・ま、これも想像に過ぎないわけですが。
まとめ
なんだか長文になってしまいました。
いちヲタに過ぎない私の妄想に、ここまでおつきあいくださった方がいらっしゃったら、深く感謝いたします。
発売前の、ちょっとしたヒマつぶしになれたでしょうか?
感じ方はさまざまでしょうし、それぞれみなさん思いもおありでしょう。
一方的に書いていますので、ご不快に感じたところがあれば申し訳ありません。
どうぞお許しください。
ともかく発売までもう少し、楽しみに待ちましょう。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
1stアルバム『真っ白なものは、汚したくなる』がリリースされ、『自分の棺』もいよいよ公開されました。
待ち遠しかったですね。
昭和感漂うサウンドは、明らかに『山手線』、『PARCO』、に連なる平手友梨奈劇場。
冒頭のくだりは、まさにあの、“叶えてくれそうな気がした”ショーウィンドウを歌っているように感じられます。
ちまたでは『月スカ』が『サイマジョ』の前段であることが話題になっていますが、てちはてちのソロのストーリーを紡ぎ続けています。もちろん表題曲、リード曲と無関係であるはずもなく、欅坂46の世界がますます厚みを増して嬉しい限り。
詳しく書けたらまた書いてみたいですが(需要があるかはわかりませんが・笑)、聴いた直後の感想として追記させていただきます。ここ一週間くらいは欅漬けになれそう♪
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コメント
こんにちは。
初めてコメントさせていただきます。
1stアルバムのタイトル『真っ白なものは汚したくなる』の意味は、秋元康氏自身が、7月30日の読売新聞日曜版でコメントしましたね。
親から買ってもらった真っ白なスニーカーを初めてはいた子供が、なぜか自分から水たまりの中に入り泥だらけにして汚してしまったときの想いを描くことで、大人になりたくない自分と大人になってしまえという衝動との葛藤を表現した、とあります。
白=子供の純真さ、汚れ=大人になること、だそうです。
『自分の棺』は、「子供の自分の葬送」を意味するのかもしれません。
平手友梨奈に対し「平手がまず不協和音を発する」ことを期待した秋元康氏が、「純真さを捨てろ」と言っているのかも。
[…] 歌詞の解釈について、ひびこれというブログ”自分の棺”歌詞の意味再考で鋭い分析がなされているので紹介しておきます。 […]
言及、どうもありがとうございます!
素晴らしい考察です。
新曲の「ガラスを割れ」「ガラスヲワレ」はまさにあなたの考察通りの展開ですね。時々、おじゃまさせていただきます。
とっくーさん、記事をご覧くださり、またおほめのコメントをどうもありがとうございます。
ほめられ慣れていないので、何とお答えしてよいかわかりませんが、とても嬉しいです。
『ガラスを割れ』の記事も書いてみましたので、よかったらご覧いただけたらと思います。
MV、楽しみですね♪