欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』の発売を前に、欅坂界隈は大いににぎわっています。なにしろアルバムだけに新曲ラッシュがすごい。銀河系初オンエアが連日のように続いています。
そして今日はついにアルバムのリード曲となる『月曜日の朝、スカートを切られた』が解禁。果敢にtweetしてくれた方がいたので聞くことができました。ありがとうございます!
というわけで今回は『月曜日の朝、スカートを切られた』の歌詞の意味を私なりに読み込み、感想を書いてみます。
おなじ欅ファンの方に読んでいただけたら、と思っていますが、ご自身の理解と感想を大切にしたい場合、それと違っている可能性もありますので、その点ご注意ください。
追記:08/01 『月スカ』が物議をかもしている?
『月スカ』過激過ぎ?
『月曜日の朝、スカートを切られた』が過激すぎるのではないか、として疑問が呈されているようです。発端は、実際にそのような犯罪に遭遇してしまったという方が始めた署名活動。『月スカ』やめて欲しい、と呼びかけている模様。
なるほど、不幸にして実際に犯罪被害に遭われた方がこのタイトルを目にすれば、激しい拒絶反応を起こしてしまう、ということはあるかも知れません。MVのロゴもエッジが効いていますし、見ようによっては怖いかも。
もちろん欅ヲタの私からすればあさって方向からの流れ弾のように感じるのですが、世の中にはこのように感じてしまう人たちも少なからず存在するのだ、ということは理解しておいた方がいいと、私はあらためて感じました。
『月スカ』の深層
ですが、楽曲そのものを否定されるのもたいへん残念です。
そもそもこの『月曜日の朝、スカートを切られた』は、不条理な暴力を肯定するものでは決してない。むしろ不条理な暴力のなかに常にさらされている自分たちの状況を抉り出したもので、楽曲の根底にはそんな現状への批判があると感じられるからです。スカートを切られても、切られていなくても、多かれ少なかれ自分たちのまわりには不条理な暴力が満ちている。そこで抑圧されている自分たちの姿を描くことがこの『月スカ』のテーマで、それはやがて『サイレントマジョリティー』の“黙りこまずに声を上げろ”というメッセージにつながる、と私は理解しています。
満員電車の中でスカートを切りつけるサイコな人間がいる。そんな奴は駄目だ、社会の敵だ、と言って切り捨ててしまえば話は簡単なのですが、問題の根はもっと深い。
サイコな人間も私たちも同じ社会に生きており、似たような不条理な状況を多少とも共有している。もしかすると、一歩間違えば自分たちだってそんな変人(エキセントリック)になりかねない。そうなりたくなければ声を上げ、前に進もう、というのが欅坂のメッセージなのかな、と自分は思っています。
理屈を言っても
ですがこのような話は、実際に被害に遭われた方にとっては別次元の理屈になってしまうのだろう、ということも理解できます。理由もわからず切り裂かれたスカートに気づいたときの衝撃と混乱、やり場のない怒りや悲しみといった感情は、経験したことのない人には想像しきれるものではないでしょう。
この意味では、中止して欲しいと望んでいる声は悲鳴にも似て、理由理屈を問わず「スカートを切る」というフレーズに、身体レベルで生じてしまう拒絶なのかも知れない、と思います。
それほどの経験を乗り越えるにはかなりの時間がかかるはずですし、その最中に傷をえぐるような曲が繰り返し流れてくれば、それはたまったものじゃない。ですよね・・・難しいところです。
欅坂46ファンとしては
少し尖った表現をしようと思えば、いろいろな賛否が出てきます。
これまでのアイドルと言えばニコニコ可愛らしく笑って、辛い現実を励ましたり癒したりするのが王道。でも欅坂46は、その現実がどのように辛いのか、どうして自分たちは癒しを必要とするほどに疲労しているのか、そのリアルに踏み込もうとしている点が支持されているんじゃないでしょうか。
メンバーのキャラクターや楽曲、ダンスなど、いろんな偶然にも支えられながら、欅坂46は社会に鬱積したものの器になってきている。その意味ではこの『月スカ』も、被害に遭われた方々の“敵”ではなく、むしろ、奥底にある怒りや疑念、悲鳴を共有し、表現しようとするものです。それが届くかどうかは、置かれた状況によって様々だとは思いますが・・・
ある種の危うさもはらみながらここまで育ってきた欅坂を、たいせつに思っているファンは多い。もちろん自分も日々勇気づけられている一人ですが、他には得難いグループとして欅坂46がどんな方向へ進んで行くのか、私はもう少し見守っていたい気がしてます。
コメントにもなりませんが、現在の所感を追記させていただきます。
追記:07/19 MV公開されました!
『月曜日の朝、スカートを切られた』の歌詞の内容
みなさん歌詞全文が気になると思いますが、諸事情により内容をふんわりとご案内する形にならざるを得ません。(ごめんなさい mm)
『月曜日の朝、スカートを切られた』は、いきなり学校の否定からはじまります。
学校に行く理由なんてない。嘘しか教えないのだから。
ほんとうのことを知りたいならネットで調べた方が早い。
学校へ行けば友達ができる? 部活で汗を流そう?
それが君たちのためになるんだ、と教師は笑顔で説くけど、その口の端はひきつっている。
だけど、それに逆らうほど熱くもなれない。
とはいえ、従うつもりもない。
いったいいつまで耐えれば、この半端な世界から抜け出せるのか?
それまでは嘘でとりつくろっていくしかない。
気づいたら、スカートを切られていた。
たぶん、通学のときの満員電車のなかだ。
そいつはきっと土日の間、孤独な暗闇にどっぷりつかって、やり場のないストレスを溜め込んでいたんだろう。
憂さ晴らしか?
私は驚かない。
悲しくもならない。
誰もみな何かしら傷ついてる。
私もその一人だということを、あんたが知るはずもないけれど。
と、乱暴ですが、こんな流れかと思います。
『月曜日の朝、スカートを切られた』 歌詞の感想と解釈
まだ数回聞いただけですが、響いてくるのはとても醒めた感情。
スカートを切られたことを、どこか突き放した、まるで他人事のように受け止めている。
「あぁ、なるほどね。こうくるんだ。」
「驚かないよ、あんたの気持ちはわからないでもない。」
「だからと言って、こんなことをしても何にもならない。」
「あんたのことはバカだと思うし、ムカつくけどね。」
ちょっと言い過ぎかも知れませんが、こんな受け止めじゃないでしょうか。
この醒めた感情の根底にあるのは
嘘や欺瞞に満ちた世界
という『エキセントリック』の世界認識。
『エキセントリック』はその世界から距離をとり、変人であることを受け入れようと葛藤しました。
『不協和音』はその世界に抗い、不協和音をかきならして戦おうとしています。
この『月曜』では、その欺瞞の世界の中に所属したまま距離をとろうとしている感じがします。
鍵は「嘘」でしょうか。
嘘で塗り固められたこの世界を生きるのに、自らも嘘の仮面をかぶろうとしている。
表面上は、わかったふりをして過ごす。
でも仮面の下側には闇がある。
こんな感性は、今の若者なら誰もがいくらかは持っているのではないかと思います。そして大人のほうはもしかしたら、それに慣れきってしまっているのかも知れません。
世界は表と裏に二重化し、表の現実はリアルではなくなる。
だから、スカートを切られてもリアリティがなく、驚かない。むしろ驚けない。
現在の世の中を覆う無感動や冷淡、時に冷酷さとなってあらわれるサディズムなども、こんな感性とつながっているような気がしてなかなかリアル。
そして、あらためて突きつけられると切ないです。
おわりに
『月曜日の朝、スカートを切られた』の私のファーストインプレッションは、こんな感じです。
みなさんはいかがでしょうか?
かねてshowroomでてちぴっぴが「あれヤバイ」みたいに話していて、この曲への期待はかなり高まっていたのですが、私としてはなかなか好印象です。欅坂46の曲は何度も聞いているうちにしっくりくることが多いので、おそらくMVがまたテコになってくれるでしょう。
いずれにしても全貌を早く聞きたいですね。
感想もまた変わるかも知れません。
例によって好き放題に書いていますので、お気に障ったらすみません。
“したり顔”に見えてしまったとしたら、本意ではありません。
ひとりの中二おじさんの感想にすぎませんので、どうぞ寛大に読み流してくださればと思います。

最後までご覧くださり、どうもありがとうございました。
『月スカ』から『サイマジョ』へ
↓ ↓ ↓

【欅坂46関連記事はこちらです】
↓ ↓ ↓






07/15 テレビで初パフォーマンスされました!
TBS系列『音楽の日』で『月曜日の朝、スカートを切られた』初パフォーマンスされました!
このダンスを見ると、至るところにデビューシングル『サイレントマジョリティー』の身振りがちりばめられていることに気づかされます。
おそらくはこの、出口の見えない・欺瞞で塗り固めた世界から、モーゼのシーンが拓かれて行くのでしょう。
その意味でこの『月スカ』は、『サイマジョ』前段の物語と言えそうな気がします。
おそるべし欅劇場、ファンを飽きさせません。
コメント