7月19日昼、『月曜の朝、スカートを切られた』の公式MVが公開されました。
これを受けて欅界隈は騒然。
そこにはデビューシングル『サイレントマジョリティー』の前段が克明に描かれていたからです。
さらに、『月スカ』で見せつけられた少女たちの在り様がとてもリアル。
不条理な世界に“切らながら”生きることを強いられ、声のない叫びを鬱積させていく姿には、思わず共感せずにはいられません。
思えば、この姿への共感こそが欅坂46の魅力の源泉でもあるわけですから、今回の『月曜の朝、スカートを切られた』は、まさに1stアルバムのリード曲にふさわしい、欅坂46の世界の真ん中を描いた曲という見方もできそうです。
というわけで今回は、新たにリリースされた『月曜の朝、スカートを切られた』と『サイレントマジョリティー』の関係を、他の曲との関係にも触れながら書いてみたいと思います。あくまで私の気づいた範囲なのでざっくりしたものですし、的を射ているかどうかはわかりませんが、みなさんの気づきの呼び水にでもなれば、と思っています。
『月曜の朝、スカートを切られた』から『サイレントマジョリティー』へ
画像出典:欅坂46公式MV『月曜の朝、スカートを切られた』より
『月スカ』のエンディング〜欅革命の原点へ
『月スカ』のエンディング・最後の最後のシーンに、“ぞわっ”と身体が反応した人は多いでしょう。
殺伐とした工事現場の光景、濡れたように地面に反射するライト、重苦しい重機の濁った黄色。
この渋谷駅再開発の現場は、欅坂46の“再構築”のスタート地点です。不条理な世界に“Noと言いなよ”と檄を飛ばし、欅革命の旗を揚げたこの場所を憶えていないファンはいないはず。
むしろこの痛々しく沈む「緑」の光景こそ原点、ですよね。
共有された“現場”
新MVは最後の最後にこの場所に踏み入ることで、『月スカ』と『サイマジョ』を時間軸の上でつないでいます。
ですが、単にストーリーがつながる以上の何かを私たちは感じてしまう。『月スカ』が生々しく描き出した世界を見た後では、欅坂の革命は単にカッコいいだけじゃなくて、自分たちが抱えている問題とかなり直接的な関係があるということを感じざるを得ません。
叫びながら自転車で疾走するゆいぽん、孤独に膝をかかえるりさ、やがてあの現場に立つだろうみんなに、知らないうちに自分を重ねてしまうわけです。(男ヲタも含めて・笑)
画像出典:欅坂46公式MV『月曜の朝、スカートを切られた』より
ダンスの呼応
ダンスを見ても、『月スカ』には『サイマジョ』と呼応するような動きがたくさん入っています。
ストーリーとしてのダンス
MVでははっきり見えていませんが、『音楽の日』で見せてくれたパフォーマンスでは、メンバーが横一列になって平手さんの行く手を遮るシーンがありました。いわゆるモーセのフォーメーションも入っており、このあたりから欅界隈ではこの『月スカ』がどうやら『サイマジョ』と強い関係がある曲だとささやかれ始めました。
翌7月16日にはキャプテン菅井友香さんが公式ブログで、“集結前のストーリー”と明言。がぜん期待度・注目度が高まりました。
同じダンスのなかで再生産される“意味”
細かく言うともっといろいろ出てきそうなのですが、この二つの動きにしぼっても『月スカ』と『サイマジョ』では、同じ動き・同じ隊列に180度反対の意味が付されている。やや極端に言っちゃってますが、一方的に傷つけられる存在と、抗うことを決めた存在との対比が、いわば同じ表現のなかに込められたため、『サイマジョ』と『月スカ』を両方知るファンにとっては、互いが互いを際立たせ合う作用を生んでいます。
これはファンにとってはありがたい贈り物ですね。
今まで一年以上、さんざん『サイレントマジョリティー』のMVを見返してきましたが、『月スカ』のMVによって、そこにさらに新しい意味がもたらされました。
『月スカ』を見た後、あらためて『サイマジョ』を見返した方も多いのではないでしょうか。
そこにはきっと、昨日までとは違った『サイマジョ』があったのではないかと思います。
アルバムのリード曲として
とはいえ、あらためて思い返してみると、『サイマジョ』の前段にあたると思える作品はこの『月スカ』に限りません。
『エキセントリック』『大人は信じてくれない』
仮に位置づけるとしたら、『大人は信じてくれない』や『エキセントリック』も『サイマジョ』以前ということになるでしょう。
ペーちゃんはつい先日『エキセントリック』で見せた神演技を、新MVにおいても再び踏切の脇で表現しています。
『二人セゾン』
謎めいた歌詞でこれまで微妙だった『二人セゾン』も、今回の『月スカ』の中に似た動きが入っていることで、どうやら『サイマジョ』の前段ぽい感じがしてきました。嘘に慣れ、半径一メートルの世界に篭城していた自分に訪れた変化、という理解が成り立ちそうです。
『世界には愛しかない』『語るなら未来を』
声を上げないはずの人間が上げた絶叫で幕が開く『世界には愛しかない』は欅革命のマニフェストだと思うのですが、そのダンスに似た動きが『月スカ』には変奏された形で入っているように見えます。『語るなら未来を』もそうなのですが、両方とも目立った形で入っていないのは、『サイマジョ』以後の物語だからなのかも知れません。
『不協和音』
時間軸で言えば『不協和音』は未だ謎な作品です。死んだように平手さんが倒れたところから始まるのは、声なき声からの蜂起という『サイマジョ』のテーマをなぞっているようにも見えますし、逆に『サイマジョ』以降の激しい戦い、不和・葛藤を表現しているようにも見えます。
とはいえ、『月スカ』にはさまざまな曲の身振りがちりばめられていて、その詳細な分析は、私の手に余るというのが正直なところです。時間軸を無理に当てはめるのもかえって興ざめかも知れませんので、このあたりでやめておきましょう。
ともかくこれらの楽曲についても、さきほど書いた『サイマジョ』同様、それと同じほどではないにせよ、今回の『月スカ』によって新たに刺激された面があるように感じています。
画像出典:欅坂46公式MV『月曜の朝、スカートを切られた』より
おわりに
いろいろと好き放題書いてしまいましたが、この『月スカ』が1stアルバムのリード曲として、これまでの欅坂46を振り返り、一旦まとめあげるための鍵として練られているという点は割とはっきりしていて、皆さんにも共感していただけるのではないかな、と思います。
最後になりますが、ここに書いてきた理解は、ひとりの欅ファンの意見に過ぎませんので、どうぞそういうものとしてご理解ください。決して正解を主張するものではありませんし、みなさんの理解の邪魔になれば申し訳ないことだと思います。
よかったらみなさんの気づきも聞かせてもらえたら、とも思います。
長文を最後までご覧下さり、ありがとうございました。
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