したり顔ってどんな顔? 意味と画像、ドヤ顔との違いは?

したり顔」、時々聞く言葉ですが、いったいどんな顔なんでしょうか?

私はいまいちピンとこないのですが、皆さんはいかがでしょう?

私の場合、意味もぼんやりとしか理解できていないので、この言葉を耳にするたび引っかかるのですが、調べる気力もないままいつもやり過ごしてきました。

というわけで、今回はこの「したり顔」の意味の基本を調べて、現実の使用と照らしながらはっきりつかめるよう、考えてみたいと思います。

それと「したり顔」が具体的にはどんな表情なのか? これも気になるので、画像をあたってみました。
最近よく聞くようになった「ドヤ顔」との違いについても、少しふれたいです。

とはいえ私は国語学者ではなく、専門的な議論はわかりません。
ここではあくまで「したり顔」を実用レベルで理解し、使えるようになることを目指して書いて行きます。
そういうものとご理解いただいた上で、似たような方にお読みいただけたらと思います。

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「したり顔」の意味は?

したり顔はどこか自慢気

あちこち調べた結果、「したり顔」の意味は、「“やってやったぜ”という表情」だと私は理解しました。

何かを成し遂げた表情なんですが、その達成感満足感を表す以上に、どこか得意気自慢気なニュアンスが含まれたものだと感じられます。
成し遂げたアピール感が漂う、とでも言いましょうか。

「してやったり」な表情

語源から見て行くと、「したり顔」の“したり”は
1.「為る(する)」の「為(す)」が変化して「し」になり、
2.これが「たり」という助動詞に結びついたもの。
今風な読み方をすれば「為(な)し-たり」=やってやったぜ、と思ってほぼ間違いように思います。

この「したり」に“顔”がついて、“やったぜ”な表情ということになります。
実際の使われ方としては、どこか優位を強調するようなニュアンスがあるので、「やってやったぜ」がしっくりくるかな、というところです。

知ったかぶり、とは違う

一方でこの「したり顔」、意味がぼやけがちな原因は、「したり顔」の「し」にありそう。

この「し」を、“知っている”の「し」と思っている人は多そう、ですよね。
でも上で見たとおり、この「し」は「す(為)る」、なんですね。「知る」とは関係ないんです。
そしてこの勘違いが、正しい理解への妨げになっているようです。

というのも、「やったぜ」感と、「知ってるもんね」という感じは、自慢気な表情という点で共通していますよね。
ここが厄介。お互いに違った理解の仕方をしていても、通じてしまう面がある。
でも、突き詰めてみるとやっぱりしっくりと通じないため、結果的に意味が揺らぎ、ぼやけてしまいます。

細かく言うと、これは私の感覚ですが、「やってやったぜ」では、割と素朴な自慢の感情が見えるのに対して、「知ってるもんね」にはその裏側に「こんなことも知らないのか」的な上から目線・相手を見下す皮肉な視線が含まれているような気がします。「したり顔」も後者のような理解をしている人にとっては、嘲るようなニュアンスを幾分嗅ぎ取っているのかと思います。よく、テレビのコメンテーターに対して「したり顔で批判している」などというケースは、そのまま「上から目線で」と置き換えることもできそう。

ですが、本来の「したり顔」はもうちょっと無邪気で、素朴な自慢顔なような気が、私はしています。

 

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したり顔はどんな顔?

具体的なしたり顔を探してみました。

と言っても私が思うストライクなものはあまり見当たらず、とりあえずこちらを一枚。厳選版です。
(しとりさん、つぶやいて下さってありがとうございます。)



上はtweetにもあるとおり、フィギュアスケーターの町田樹選手の「したり顔」。
町田選手は現役時代、ユニークな発言でよく話題になっていましたが、上には上がいるこということも心得ていた選手です。先輩には高橋選手が、後輩には羽生選手がいて、二人の天才にはさまれながら、あくまで謙虚な姿勢が印象的でした。なのでこの表情も、相手を負かしてニヤリとしたというより、自分の演技に満足して出た微笑だと思います。自慢気ではあるが嫌味ではない。やり遂げたことへの誇りも感じさせる、さわやかな「したり顔」です。

ドヤ顔とはどこが違う?

似たような意味をもつ言葉で、最近よく「ドヤ顔」があります。

ドヤ顔はまさに、「やってやったぜ、どうじゃ、見たか!」という表情。
これまで見て来た範囲では言えば「したり顔」とかなり重なる感じがあります。

あえて違いを際立たせるとしたら、「ドヤ顔」のほうはその語感通り、自慢アピールが強い。
「ドヤっ!」という関西由来の語感が、へたをすると威圧的にすら感じられます。

ちょっとウザい感じは「したり顔」にもあるのかも知れませんが、それが強い。そしてドヤ顔をドヤ顔というこちら側には、そのドヤ顔をどことなく滑稽なものとして茶化すニュアンスも含まれているような気もします。

したり顔の現在

私の「したり顔」の理解は以上のようになるのですが、気になることもあります。

現在の「したり顔」の使われ方をtwitterやネットで見ていると、むしろ「知ったかぶり」として使われている局面が多いような気がしました。本来の由来とは別に、それで通じているのなら、長い間に意味そのものが変化していくこともあり得るかも知れません。

自分自身を振り返ってみても、
「ワイドショーのコメンテーターがしたり顔して正論を言う」
などは「知ったかぶり」や「上から目線で」に置き換えられるわけですが、ほとんど違和感を感じません。

一方で、本来の「してやったり」な顔のほうは、“ドヤ顔”に担われつつあるような気もします。

大勢としてはこんな風な意味の変動があるみたいなので、
「“知ったかぶり”をしたり顔というのは間違いだ」
などと正せば、それこそしたり顔と批判されそうです。

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「したり顔」まとめ

以上、「したり顔」について見てきました。

私なりのポイントをまとめますと、

  • したり顔は知ったかぶりな顔ではなく、成し遂げた顔。
  • 意味から考えると、上から目線なニュアンスは少なく、達成感が優る。
  • ただし、現在は知ったかぶりという使われ方をしているケースが多そう。
  • ドヤ顔が、したり顔の本来の意味を担いつつあるのかも知れない。

以上です。
ただし冒頭に書いたとおり私は国語学者ではありませんので、これが正統な理解だということはできません。むしろ私自身の主観が多分に入っていますので、みなさんに伝わる限りでご参考にしていただける面があれば嬉しいです。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

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