『サザンカ』静か過ぎ?セカオワがこめた歌詞の意味がハマりすぎ!平昌オリンピック・テーマソング(NHK)

平昌オリンピックのNHKのテーマソングが胸に沁みます。

SEKAI NO OWARIセカオワ)の『サザンカ』という曲ですが、主題歌として流されるパートだけでなく、曲全体がまたオリンピック中継にピッタリ!
すぐ後に公式の動画を載せますが、とかく勇ましくなりがちなスポーツ番組の主題歌とは一線を画する内容になっていて、とても気に入っています。

というわけで、今回はNHKの平昌オリンピック関連放送のテーマ曲、SEKAI NO OWARIの『サザンカ』について、特に歌詞の意味について書いてみます。
第一印象ではやや弱々しく聞こえるこの曲が、なぜジンワリと沁みて五輪中継にピッタリだと思えてきたのか、その理由を掘り下げています。

もちろん個人的な感想・解釈になりますので、そのようなものとご理解ください。
また、歌詞のテキストそのものは事情により掲載できません。専門サイトをご参照いただくか、すぐ後の公式動画の字幕をご参照下さい。期待して来てくださった方にはすみません。

 

NHK平昌オリンピックのテーマソング『サザンカ』(SEKAI NO OWARI)の公式動画

百聞は一見に如かず、SEKAI NO OWARIの『サザンカ』のMVはこちらです。
 ↓ ↓ ↓

 

『サザンカ』の歌詞の意味がオリンピック主題歌にハマりすぎた!

MVはストーリー仕立てになっていて、見ていて飽きません。
当然ながら映像も歌詞の内容にも沿っていて、『サザンカ』の世界がわかりやすく伝わって来ますね。
折々の料理がとても美味しそうなのも、せつなさを誘います。

ですが、これを平昌オリンピックのテーマソングとして聴くと、さらに一層『サザンカ』の歌詞が沁みて来ます。

オリンピックに限らず、スポーツ中継や番組のテーマソングというと、どうしても勇ましくなりがちです。そういう感覚に慣れた耳からすると、この『サザンカ』はちょっと弱々しく、インパクトが足りないように聴こえるかも知れません。

実は私も、最初はちょっと物足りなく感じてしまいました。
なにしろ紅白での安室奈美恵さんの『HERO』の余韻がまだ新しい。あのインパクトや高揚感は、五輪テーマソングの決定版とも思えるような、素晴らしい出来でした。

ですが、じっくり歌詞を聴いてみるとこの『サザンカ』は、『HERO』とは違ったベクトルで、私たちの気持ちを選手たちに沿わせてくれる内容になっています(と、私は思います)。

セカオワが描く『サザンカ』の歌詞の世界

『サザンカ』は、挫折のシーンから始まります。

閉じられた扉の向こうから聞こえる嗚咽。
特別に印づけられたカレンダーの日付が、希望が絶たれた虚しさを際立たせます。

夢に背を向けて生きて行くことは怖い。
それは自分を諦めてしまうこと。
でも、そのために費やした努力や時間が、報われるかどうかはわからない。
特につまづいた時には、そんな不安が一気に溢れます。

『サザンカ』は、こんなシーンに捧げられています。

笑われる者こそ主人公

夢を追う君へ
思い出して つまずいたなら
いつだって物語の主人公は笑われる方だ
人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ
*引用:SEKAI NO OWARI『サザンカ』 (作詞 Fukase、Saori)

人からどんな風に思われようといいじゃないか。
物語の主人公というのは、常に笑われるものさ。

これは、逆に言えば、夢追う人を笑う者は決して主人公にはなれない、ということも意味しています。

また、つまづいたとしても、立ち上がる限り物語は続くとも言っています。
物語が続くということは、言い換えれば、主人公であり続けることができる、ということでもあります。

つまづき、転び、傍から見る人から笑われる。
でも、そこから立ち上がる限りは、主人公であり続けられる、とSEKAI NO OWARI は言っているんですね。

選手たち皆が主人公?

この曲が五輪のテーマソングであることを思うと、懸命に練習に励み、悩みながらも困難を克服していく選手たちの姿が容易に思い浮かびます。
夢の金メダルは保証されていない。この日々の努力は報われるのだろうか、周囲の期待に応えられるのか・・・選手たちの心情は推測するに余りある。

それでも前に進もうとする人こそが、主人公なんだ、と。

いやいや、それは違うだろ?
オリンピックの主人公は、各競技の金メダリスト。最終的な勝者・表彰台の中央に立つ者こそが物語の中心だよ

そういう見方もあるでしょう。
厳然たる事実でもありますし、甘い言葉でこの部分をごまかすわけにはいきません。

選手たちの物語とは?

でも、ここでセカオワ先生が言っている主人公っていうのは、ちょっと違う意味ですよね。
競技という物語の主人公ではなくて、きっとその人の人生の物語の主人公、ってことなんでしょう。

自分の夢を追い、つまづく者。
笑うほうではなく、笑われるほう。

たとえそんな風であったとしても、立ち上がる限り自分の人生は続く。
人生の主人公であり続けることができる。
それ以上の物語があるだろうか?

そんなメッセージが、この『サザンカ』にはこめられているような気がします。

私たちは何を応援しているのか?

考えてみれば、思い当たることも多いです。
私たちが競技を見て、選手たちを応援している時、確かに勝利を願います。

でもそれは、どこかの国のように国威がどうこうとか、フィギュア界が盛り上がるように、とかいうことじゃないですよね。何よりもまず「選手たちの努力が実りますように」ということだろうと思います。

きれいごとではなくて、そうであってはじめて選手たちと自分自身を最大限に重ねることができると思うんです。
笑われる勇気が持てない人にはその勇気を、つまづき塞いでいる人には再び扉を開く力を、選手たちはもたらしてくれる。応援するって、単に選手たちを突き放して「がんばれ」と励ますことじゃないですよね、きっと。
選手たちに自分を重ねて応援することで、逆に勇気をもらう ←これが応援の実の姿だと私は感じています。

SEKAI NO OWARIのこの『サザンカ』という曲が沁みるのは、この歌が選手たちだけでなく、上のような形で選手たちと自分とを重ねる私たち自身への応援歌にもなっているからなのかも知れないな、と思います。

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おわりに

勝手なことを書き連ねてしまいました。

ここまでお読みくださった方にはお礼いたします。ありがとうございました。

ただ、的外れだよ、という方もおられると思いますし、何を当たり前のことを今更、とお感じになった方もおられると思います。いずれにせよ個人の感想なので、ご不快に感じられた方には、お心広く聞き流してくだされば幸いです。

勝っても負けても、みなさんが人生の主人公であり続けられますように。

 

付:NHKの、歴代五輪番組テーマソング

NHKのオリンピック歴代テーマソング

1988年(夏)ソウル(韓国)/浜田麻里「Heart and Soul」
1992年(冬)アルベールビル(フランス)/なし
1992年(夏)バルセロナ(スペイン)/寺田恵子「PARADISE WIND」
1994年(冬)リレハンメル(ノルウェー)/高橋真梨子「遙かな人へ」
1996年(夏)アトランタ(アメリカ)/大黒摩季「熱くなれ」
1998年(冬)長野(日本)/F-BLOOD「SHOOTING STAR」
2000年(夏)シドニー(オーストラリア)/ZARD「Get U’re Dream」
2002年(冬)ソルトレークシティ(アメリカ)/MISIA「果てなく続くストーリー」
2004年(夏)アテネ(ギリシャ)/ゆず「栄光の架橋」
2006年(冬)トリノ(イタリア)/平原綾香「誓い」
2008年(夏)北京(中国)/Mr.Children「GIFT」
2010年(冬)バンクーバー(カナダ)/L’Arc~en~Ciel「BLESS」
2012年(夏)ロンドン(イギリス)/いきものがかり「風が吹いている」 
2014年(冬)ソチ(ロシア)/コブクロ「今、咲き誇る花たちよ」
2016年(夏)リオデジャネイロ(ブラジル)/安室奈美恵「Hero」

NHKの平昌オリンピック公式サイト

NHKピョンチャンオリンピック – NHK

コメント

  1. hubh より:

    すばらしい意見をありがとうございました。
    号泣してしまいました。
    本当にありがとう!!

    • くえり(query) より:

      hubhさん、このようなネットの片隅ブログにおこし下さり、また、嬉しいご感想をどうもありがとうございます。

      この記事はセカオワさんの歌詞に触発されたものなので、何かhubhさんのお心にふれるものがあったとしたら原曲の力だと思いますが、それにしても嬉しいお言葉です。励みにさせていただきます。

      平昌オリンピックもそろそろ終わってしまいますが、『サザンカ』が象徴するようなシーンも何度か見かけました。よい選曲だったのではないかなと、私は思っています。

  2. 少年あいぼ より:

    とても静かで、真摯に言葉を紡いでいらっしゃるこの部屋なら、僕の勝手な思いを書かせていただけると思いました。ですから、これから書く思いは誰かをとやかく言うつもりもありませんし、書いた言葉、それ以上でもそれ以下でもありません。ただ僕の個人の妄想です。

    テレビはあまり見ません。今回の冬のオリンピック、ネットのテキストニュースで見て、YouTubeで動画を見ていました。と言っても全くテレビを見ないわけでもなく、何気なく観たNHKのオリンピック中継でこのテーマソングを聴きました。
    「あぁなんて暗い曲なんだ。NHK、やっぱ趣味悪い」
    曲の一部しかフレーズしかかかってなくて。どんな歌詞かも歌なのかも知りませんでしたから、ファンの方すみません。でも確かにNHK観てこれを聴くとチャンネルを変えたくなるくらい嫌でした。わざと品位を下げて人をさげすんでる民放も嫌ですが、やっぱりオリンピックを暗くするのは良くない。

    そんなメディアへの愚痴を思いつつ、オリンピック、良かった。僕みたいな涙腺の緩んできた年寄りにはことの他良かった。泣かせどころ一杯で。

    オリンピックが終わって一週間以上の経った昨日、とあるMVを観ました。あああの曲はサザンカっていうんだ。

    MVを観て初めて泣きました。

    オリンピックのテーマソングには合っていないと思いました。歌詞を知って歌を知った今でもそう思っています。でもオリンピックのテーマソングに合っていないことと歌の良し悪しは全く別でした。

    僕が泣いた理由はこの曲のMVです。歌が良いから、歌詞が良いから泣いたのではありません。このMVを観た、ゲイの僕が泣いてしまったのです。まさかそんなMVだと知らずに観た僕は嗚咽してしまいました。まさかそんな内容だったのです、ゲイの僕には。

    もうかなり昔、付き合っていた大学生の彼に、まだ社会人の新人の僕は「お兄ちゃん」と呼ばれいたんです。一緒に朝を迎えると、僕は必ず朝ごはんを作ってやっていました。
    これがノーマルな人でも、今流行りの言い方で言うならLGBTの人でも、幸せの形に千差があると思えませんから、所謂幸福の形のイメージですよね、一緒に朝ごはん、というのは。好きな人のためにご飯を作ってあげる、好きな人のご飯を美味しく食べる・・・。
    そんな幸せな中でも喧嘩はあるものです。MVの中では弟君が描く作品を評価されず苦しむ、といった設定にはなっていますが、相方(お兄ちゃん)にあたってしまう、ご飯をひっくり返すことで。でも彼氏(お兄ちゃん)はそれでも、彼氏(弟君)と一緒に暮らしてご飯を一緒に食べることで幸せなんですよね。

    そんな中、弟君は作品で評価される。あるいは仕事で成功する。

    ここからがクライマックスです。

    仕事で成功する彼氏を、お兄ちゃんは一人で喜びに行きます。深読みでしょうが、彼氏は一人で誰にも紹介されることなく彼の成功を喜びます。彼も彼氏ともう一緒でなくなる。有名になることは、彼氏との別れと同意語なのです、ゲイの世界では。別れとは、本当の別れもあるし、もうひとつの意味もある。表立って彼としては会えないこと。
    そうやって彼氏(お兄ちゃん)はひとり部屋で泣いているんです。
    君は成功して大きくなっていく。僕は君にもうご飯を作ることはないんだね。君と一緒にご飯を食べることもない。君と一緒なら僕は、いつでも、どんなときでも、一生懸命にご飯を作る。君が辛くて僕にあたったとしても、僕は君のためなら一生懸命に作る。でも君のいない、ひとりの部屋で、僕はどうしたらいいんだろう・・・。
    彼は、ひとり泣きながら彼氏の成功を祈っている。

    僕には、ゲイの悲しいカレンダーに見えて仕方なかった。そんなMVです、僕にとっては。

    普通なら仲のいい彼女と若い彼氏の設定で充分だった筈なのに、男二人の設定にしていただいて、本当に感謝です。もし、ゲイの人に理解のない方がおられたら、ゲイの人もこういう幸せな暮らしをしている人がいると思ってください。そしてもしかしたら悲しい別れも、想像してやってください。
    多分多くのSEKAI NO OWARI ファンの方々には「何言ってんのよ」、な感想だと思いますが、こういった感じ方をして想いを寄せてる人もいるのだと思っていただければ倖いです。

    • くえり(query) より:

      少年あいぼさん、こんにちは
      ご投稿、どうもありがとうございます。このようなコメントを私のブログにいただけたことに喜んでいます。
      記事を書きながら、自分でも書き尽くせていないなと思う面があったのですが、それをあらためて感じさせられました。その点でも感謝です。

      サザンカには、オリンピックにぴったりの「ひたむき」という花言葉があるそうですが、そのほかに「謙虚・謙譲」「理想の恋」という意味もあるそうです。どなたがいつ決めたのかはわかりませんが、お書き下さった内容と重なるように感じています。