ガラスを割れ!の歌詞の意味が意外に深かった(かも知れない)件〜欅坂46・6thシングル

欅坂46『ガラスを割れ!』 欅坂46

ガラスを割れ』がラジオで放送されました。
待ちに待った欅坂46の6番目のシングル・表題曲です。

5th『風に吹かれても』同様、メンバーのかけ声多め&軽快な曲調。
ライブで盛り上がれそうだと、メンバーにもファンにも好意的に受け止められているようです。

ですが『ガラスを割れ』のこの軽さ、『サイマジョ』以来の欅ファンにとっては、ちょっと物足りないのも正直なところじゃないでしょうか? 歌詞に歌われているメッセージも、一貫性はあるけど新味がない・・・ような気もする。

いやいや、ディスる気などありませんよ、これでもヲタですし・笑
でもあまりに身びいきで、欅ちゃんなら何でも神曲!というのも不健全な気もします。

というわけで今回は『ガラスを割れ』の歌詞に新しいところはないのか?と、勝手に読み込んで掘り起こしてみました。

やっぱり『不協和音』までが最高すぎた・・・
初期の楽曲を超えるのは無理だよな・・・
という方のお耳を、ちょっとお借りできたら幸いです。

もちろん私の感想ですので、みなさんのご理解と違う面がたくさんあるかと思います。ご自身と違う見方も楽しめる、面白がれる、という方にご覧いただけたらと思います。
また、歌詞そのものは事情により掲載できません。せっかく来てくださったのにすみませんが、専門の歌詞サイトをご参照ください。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。

*アイキャッチ画像出典:欅坂46公式MV『ガラスを割れ』より

 

ドコモのCMとタイアップされています(追記)

MV公開直後から“大型タイアップ”が噂されていた『ガラスを割れ』ですが、お相手がNTTドコモであることが明らかになりました。

「赤坂ですか?」
「けやきざか、って言ってたな・・・」
の下りがいいですねw

どちらのバージョンも、センターの平手友梨奈さんがあえてフィーチャーされていない点がよいです。
私はてちよりの箱推しですが、こういう露出のほうが欅坂に合ってるというか、パワーが増して行くような・・・

MV公開されました(追記)

『ガラスを割れ』の歌詞の世界〜犬とガラスが意味するもの

欅坂46の6thシングル『ガラスを割れ』は、飼い主に引かれて川べりを散歩する犬の姿から始まります。

その犬は野生を忘れ、もはや吠えることも噛むこともない。
日々餌を与えられることに慣れきっているその姿は、悲しくも哀れ・・・

いきなり言っちゃいますが、ここで描かれている惨めな犬は、私たち自身のことでしょう。
厳しいようですが、この歌を正面から受け止めようとするなら、こう思ったほうがよい気がします。

もちろん私たちに「飼い主」はいないし、私たちも「ペット」ではない。
でも私たちは組織、ないしは社会にリードで繋がれ、それが無言で要求してくるものに従いながら生きている。少なくともそんな風に言わざるを得ない面は、誰にでもあると思います。「社畜」なんて言葉もあります。

そんな状況の中、私たちは声を上げる=吠えることを忘れ、現状を当たり前のものとして受入れてる。さらには傷つくことを恐れ、いつの間にか今の“幸せ”にしがみつくようになってさえしまう。
私たち自身が、見えない檻に自分を閉じ込めてしまうわけです。

この「見えない檻」こそ、欅坂46が「ぶち壊せ!」と呼びかける“ガラス”の正体なんだろうと思います。

2018/02/20 追記)

ドコモとのタイアップが公になり、“吠えない犬”、“飼い馴らされた犬” はSBを指しているのではという観測が出回っています。

欅坂46の一貫性はあるけれど

「群れてるだけじゃ始まらない」というフレーズが楽曲をまたいでリフレインされているように、『ガラスを割れ』で歌われているテーマは『サイレントマジョリティー』に直接つながっています。

多数派にまぎれておし黙っていること(サイマジョ)は、鼻をならして状況にすり寄っていること(ガラワレ?)と、たいした違いは無い。
声をあげない(吠えない)ことで日々の餌を得ている私たちは、厳しく言えば社畜あるいは社畜予備軍です。

そういうわけで、歌詞の意味・メッセージという点から言うと、『ガラスを割れ』に新しい点は、あまりないように見えます。
噛み締めると魅力に転じそうな違和感も見当たらず、ちょっと拍子抜けというのが、私の正直な第一印象でした。

 

『ガラスを割れ』が拓く新しい坂道

ですが細かく見て行くと、やはりこれまでとは違っているところがある・・・ような気がしてきました。

それはどこかと言うと抑圧のおおもとはどこにあるのか、という問題です。

抑圧するものの起源〜吠えない犬の生まれ方

これまでは「声を上げろ」「不協和音をかきならせ」「変人でいいじゃないか」というメッセージが前面に出ていました。波風立てろ!って話ですね。この『ガラスを割れ』も、タイトルからして同じようなメッセージなんですが、その前提にある「私たちを抑圧しているもの」、その起源がどこにあるのかという問題に、『ガラスを割れ』は一歩踏み込んでいるような感じがするんです。

『サイレントマジョリティー』では、抑圧の源は世間の同調圧力のような、漠然とした「状況」でしかなかったですよね。問題はあくまで自分とは別の場所・外部にあった。

でも『ガラスを割れ』においては、抑圧は外からではなく、むしろ「内から」生み出されるもの、と言われているように聞こえます。

見方を変えると、『サイマジョ』でデビューしたてのメンバーにはティーンエイジャーが多く、いわゆる反抗期的に「大人はわかってくれない」と歌っていればよかった。その方が気持ちを沿わせることができたのかも知れません。

でもちょっと大きくなると、頭を振って駄々をこねても状況は変わらないことがわかってきます。

魂の叫びだけでは、いくら気力を振り絞っても虚しいこだまがひびくだけ。

そして、もしそこで諦めてしまうと、“吠えない犬”になってしまう・・・
『ガラスを割れ』で描かれているのは、そういう犬の姿です。

いま世の中に溢れている“サイレントマジョリティー”も、かつては「僕は嫌だ!」と思っていたはず、なんです、たぶん。(自分もそうでしたし・苦笑)

吠えない犬、逃げない像

リードでつながれなくても
どこへも走り出そうとしない

アメリカの奴隷解放の時代、当の奴隷自身は、解放されたことを知っても逃げ出しはしなかったという話を、どこかで聞いたことがあります。あるいは、幼い頃に鎖で繋いで育てた像は、その鎖を力で断ち切れる大人になっても、その鎖を断ち切ることはない、とも言います。

それまで続けて来た生存の様式が見えない壁となり、自分自身を檻の中に閉じ込める。
この見えない壁・抑圧のガラスを生み出しているおおもとは結局自分自身なんだ、という話。

想像のガラスを割れ
思い込んでいるだけ

抑圧を外のせい、大人のせいにして誤摩化さず、自分自身が生み出しているものとして、その責任を引き受けている点が、『ガラスを割れ』の新しい点のように思います。

「僕」から「俺」へ

俺たちはもう犬じゃない。

これまで使われて来た「僕」ではなく、「俺」と言われている点も注目です。
もう子どもじゃないんですね。

成長し、自立できるようになった「俺」たちは、もう飼い犬でいる必要はない。
さきほどの例で言えば、成長した象です。

吠えない犬は、犬じゃないんだ

「犬じゃない」と繰り返されているのに、言われている犬の意味が真逆です。
俺はもう飼い犬じゃない。吠え声でガラスをぶち破り、野生を取り戻し、本来の犬になってやる。
そんな感じでしょうか。

楽曲の軽さと「大人」になること

『ガラスを割れ』では、楽曲の「軽さ」も印象的です。

5thの表題曲『風に吹かれても』で初めて登場したこの軽やかさは、それ以前の表題曲に漂っていた素朴で切迫した衝動感と一線を画すものでした。6thはこの軽さを引き継いだスタイルになっています。

私としてはこの変化に、ここまでみてきた「僕 → 俺」への変化が重なって見えます。

抑圧の源は自分の外にある
 ↓
抑圧は自分が生み出しているものでもある

状況の責任を外に転嫁せず、自分自身に引き受ける。
そうであってこそ、自分で状況を変えていく道が開かれます。

傷つくことを恐れず、今の自分を壊し、次の自分を育てる。これが自由になることなのかも。

こうしてみると、

お前はもっと自由でいい

という台詞には、お前はもっと大人になれる、という意味も含まれているような気がしてきます。

もちろん死んだ目でルールを説く大人ではない、自由な大人のことです。言うほど簡単じゃないですが、そんな大人であるためには、違和感を孤独に受け止めながら、軽やかに状況を泳ぎ渡る態度が求められるのかも知れません。

ガラスは何を意味するのか?

余談ですが、欅坂46の楽曲に登場するガラスは、自由を阻む見えない壁として登場することが多いような気がします。

『語るなら未来を』では、後生大事に守っていた執着がガラス瓶に入っていました。
『渋谷からPARCOが消えた日』では、偽りの幸せを飾り立てるショーウィンドウとして登場していましたね。

それぞれ、前者ではガラスの中にあるものはゴミでしかないと一蹴され、後者では、少女を惑わせる幻想の象徴として描かれていました。
この6th『ガラスを割れ』は、こんな欅坂46にとってのガラスを、正面から取り上げた楽曲と言えるのかも知れません。
ほかの秋元グループのことを私は知らないので、全体としてどうなのかはわかりませんけど。

 

まとめ

ちょっと自分の考えを入れすぎたと思いますが、私は6th『ガラスを割れ』を、今のところこんな風に理解しています。
わかりにくい面もあったと思うので、書いて来たポイントをまとめると、

  1. 『ガラスを割れ』は、基本的には『サイマジョ』以降のテーマを踏襲している。
  2. 違いは、抑圧の源を外側ではなく自分の内側に見いだしている点。
  3. これが僕(子ども)から俺(大人)への変化を表していて、
  4. 楽曲の軽快さも、この変化のあらわれのように感じられる。

といったところです。
もちろん私の感想ですし、一人で勝手に深読みしていった結果ですが、もしここまでご覧くださった方がいらっしゃいましたら、お礼申し上げます。
ありがとうございました。
あとはMVを楽しみにしましょう♪

*本文中、引用内は欅坂46『ガラスを割れ!』の歌詞からとっています。作詞はこれまでの経緯から秋元康さんだと思われます。

コメント

  1. モトカー⊿ より:

    新曲ガラスを割れ!の歌詞は、誰よりも高く跳べの歌詞と似ているように思います。先日のひらがなけやき2期生おもてなし会で、モニターで誰跳べの歌詞が流れているのを見て、気づきました。
    https://ameblo.jp/motokar/entry-12352725402.html

    • くえり(query) より:

      モトカー⊿ さん、コメントとブログへのご案内、どうもありがとうございました。
      拝見させていただきました。
      おっしゃるように、『だれとべ』と歌詞の内容があちこちでつながってきますね。ご指摘ありがとうございます。
      かなちゃんは独立して活動していくようですが、こうして楽曲でつながっていることがわかると嬉しいですね。
      お返事が遅くなってしまい、失礼しました。

  2. tectec より:

    深読みかもしれないですが、、サイマジョは「18歳に選挙権」のタイミングでした。そして今、まさに日本人が直面している問題。ガラスとは「憲法」のように感じました。アメリカの飼い犬のようになってしまっている日本。そこに今の日本の問題の根源があります。「今の幸せにどうしてしがみつくんだ 閉じ込められた見えない檻から抜け出せよ」「吠えない犬は犬じゃないんだ」今年、憲法改正の国民投票が行われるかもしれない。それは今の若者にとって大変大きな問題になってきます。秋元さんは今のマスメディアや平和ぼけした日本の世の中、また政治に無関心な若者の現状に対する苛立ちを歌にぶつけているような気がしてならない。MVの最初のシーンで平手がテレビを蹴るシーン。あのテレビは既存のマスメディアを象徴しているように感じます。ともあれパワーがわいてくる歌ですね。

    • くえり(query) より:

      tectecさん、ご投稿ありがとうございます。
      お返事が遅くなってすみませんでしたが、深読みは大好きなので、楽しく拝見させていただきました。
      ボリュームのある文章を、どうもありがとうございます。

      おっしゃるとおり、メディアは一斉に同じことしか言わなくなっていますし、いろいろ気がかりです。ご指摘の冒頭シーンもたいへん印象的・象徴的ですよね。
      この曲がどんな風に広まって行くのか、『月スカ』は物議をかもしたりもしましたが、見守って行きたいです。

      • tectec より:

        丁寧にお返事ありがとうございます!常にその時代を敏感に感じさせる欅坂の楽曲、いつも楽しみですね。この曲の広まり・・不協和音の時もそうでしたけど時勢の変化によって解釈が変わっていきそうですね。くえりさんのブログ楽しみに拝見させていただきます!!

        • くえり(query) より:

          tectecさん、再度のご訪問&コメント、こちらこそありがとうございます。

          おっしゃるとおり、解釈は時代の空気の影響を大きく受けますよね。
          どんな風に理解されていくのか、見ていくのも楽しみのひとつです。

          今日、ドコモとのタイアップCMが公開されて、さっそく「犬」への反応が出て来ました(笑)

  3. ko0625 より:

    偽りの幸せを飾り立てるショーウィンドウはPARCOじゃなくて自分の棺では?

    • くえり(query) より:

      Ko0625さん、コメントをどうもありがとうございます。
      おっしゃるとおりです。
      “ショーウインドウ”や“値札のついた幸せ”と聞くと、自分は“近くにいると叶いそうな気がする”を強く連想してしまうため、こういう記述になっています。
      わかりにくいかと思います。ご容赦ください。ご指摘、ありがとうございます。