衣笠祥雄が死去、かすれ声と死因の関係や選手時代の成績〜連続出場2215試合はいつからいつまで?

元広島の鉄人・衣笠祥雄さんがお亡くなりになったと、2018年4月23日報じられました。

死因は大腸がんとのこと。
球界の重鎮がまたこの世を去り、たいへん残念です。

ここでは衣笠祥雄さんの栄光の記録を振り返ります。

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元広島カープ、チームメイトの反応(追記)

山本浩二さんの反応が入っています。
山本さんは『ミヤネ屋』での電話で取材に対して
キヌがいたから私も数字残せた
と生で回答したそうです。

一方、現在ソフトバンクでヘッドコーチをつとめる達川光男氏は、衣笠氏の体調がよくないことを知っていた模様。電話で時々話していたことにもふれながら、
若いキャッチャーを怒るなよ。怒ると今の若い子は伸びんよ
と衣笠さんからアドバイスされたことを振り返りました。

往年のエース北別府学氏はブログを更新。
言葉もない、まだ信じられず、気が動転していると胸の内を明かしています。
悲しいお知らせです。 | 北別府学オフィシャルブログ Powered by Ameba

衣笠さんは4月19日まで解説の仕事をしていた!

あまりの突然の訃報に、世の中もざわついています。
というのも衣笠さんは今月の19日まで野球解説の仕事をしていました。
試合はDeNA×巨人戦のデイゲーム。

その時の解説の声がかすれ声で、普通に聞いていてもちょっと違和感を感じるほどかすれていた

かすれ声と死因との関係は?

その時は風邪だと言われていたが、話をするのが辛そうとファンも心配する始末。
結果、槙原さんが解説を交代したそうです。

このため衣笠さんの死因は喉の病気だったのではないか、という噂が流れましたが、死因は大腸がんであったとその後で報じられました。

かすれ声と死因との直接の関係はなかったことになりますが、ちょっと解せない気もします・・・

 

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衣笠祥雄さんのプロフィールと「鉄人」の由来

衣笠さんといえば「鉄人」の愛称で親しまれた広島の名野手。

氏名:衣笠 祥雄(きぬがさ さちお)
生年月日:1947年1月18日
出身:京都府京都市東山区

お父さんがアフリカ系アメリカ人で、母親は日本人のハーフ。
野球を始めたのは中学時代から。
高校ではキャッチャーとして甲子園にも二度出場。ベスト8入りするチームの実力者でした。
1965年、カープ入り。早くからファーストのポジションに定着し、活躍し続けます。

小柄ながら身体が丈夫で身体能力も優れていたのは、米兵であったお父さんから受け継いだものかも知れません。このため鉄人の愛称で親しまれることになります。

鉄人という愛称は漫画「鉄人28号」からとられたものですが、欠場しない衣笠さんの姿に、いつしかその由来も忘れられるほど“鉄人”は衣笠さんの愛称として定着していきます。

ひたすら練習すれば野球が上手くなると思っていた若手時代を経て、1975年にリーグ優勝を経験、1976年には盗塁王を獲得しました。いつしか入団時の背番号「28」から、劇画『鉄人28号』に由来する「鉄人」の愛称で呼ばれるようになり、アスリートとして肉体的なピークを迎えたのもこの時期でした。
*画像出典:衣笠祥雄氏の野球人生最大の危機を救った「心の一冊」とは│NEWSポストセブン

特に1970年代後半から1980年代の広島カープ黄金時代には、山本浩二選手とともに、いわゆる「赤ヘル打線」の主砲として活躍。球界のビッグネームでした。

衣笠さんは俊足でも知られ、1976年には盗塁王に輝いています。

連続試合出場記録はいつからいつまで?〜衣笠祥雄の偉大な戦績

1987年6月13日にはメジャーリーグのルー・ゲーリックと並ぶ2131試合連続出場を果たします。
同年、衣笠選手は引退を発表。最終的な連続試合出場記録は2215試合になっています。

連続出場は入団6年目の1970年10月19日から、最終が1987年の10月22日まで。

この年、衣笠さんは王貞治さんに次ぐ二人目の国民栄誉賞を受賞。

衣笠さんの生涯成績を振り返ると、国民栄誉賞に恥じない見事さです。

  • 通算安打2543本(歴代5位・福本豊タイ)
  • 通算本塁打504本(歴代7位・張本勲タイ)
  • 通算打点1448(歴代10位)
  • 通算得点1372(歴代5位)

ゴールデングラブ賞は三回も受賞しています。

衣笠さんを語る上でもうひとつ欠かせないのが、前述した山本浩二さんとのYK砲です。
この二人のアベックホームランは86本。
これは巨人全盛期のON砲(王貞治+長嶋茂雄)の106本に次ぐ歴代二位の記録になっています。

1996年、野球殿堂入り。

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おわりに

ごくごく簡単に衣笠さんの足跡をたどりましたが、あらためて素晴らしい選手であったと感じます。
プロ野球の一時代を築いたとともに、バランスのよい身体能力でアスリートのお手本、ひいては人としても尊敬できるお手本のような存在だっという声も大きい。

心からご冥福をお祈りいたします。

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