『期待していない自分』歌詞の意味と、佐々木美玲がセンターの理由〜けやき坂46

けやき坂46『期待していない自分』

けやき坂46の『期待していない自分』が好印象です。
特に歌詞の内容が、センター・みーぱん(佐々木美玲さん)によく合っている気がします。

優等生っぽい控えめな印象ですが、芯には激しいものを秘めていそうな佐々木さん。
沈黙しながらも、何かを待っている心の中は熱く激しい

『期待していない自分』の主人公も、そんなキャラクターのように思います。

以下、そのあたりを中心に、ひらがなけやき坂46の『期待していない自分』の歌詞の意味を探ってみました。

でも以下の記事は正解を「解説」するものではなく、あくまで個人の感想に過ぎません。いろんな読みとり方を楽しめる方にご覧いただけたらと思います。また秋元康さんによる実際の歌詞そのものは、事情により掲載できません。期待して来てくださった方がおられたらすみませんが、専門のサイトをご参照くださいますようお願いいたします。

*アイキャッチ画像:けやき坂46公式MV『期待していない自分』より

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『期待していない自分』の歌詞の世界

『期待していない自分』の歌詞に描かれているのは、私なりに読み解いてみると、次のようなストーリーになるのではないか、と思います。

道の途中、理由もなく躓いてしまった。
段差や石ころがあったわけではなく、意味がわからない。
結局自分はドジなのか? 駄目人間?
足元を見つめなおして、そんな風に問うべきなんだろうか?

だけど、そもそも上ばかり見て歩いてたわけじゃない。
夢ばかり追っていて、躓いたわけじゃないんだ。
そんな希望や期待なんて、もとから自分には無縁。

確かに現実さえ見るようにしていれば、躓くことなんてない。
大人たちの言うように、もっと賢く、慎重に生きなきゃな。

でも、それでほんとうの世界は見えてくるのかな?
足元ばかり見ている人生を、幸福と呼べるんだろうか?
それだと世界は色あせてしまうような気もする。
行きたいほうへ、僕は歩きたい。
そう思うのは、いけないことなんだろうか?

だけど、空からは雨が降ってくることもある。
空を見上げ、夢を追うとは、そういうことだ。
そこで傘をさしてしまうから、僕はまた迷ってしまう。

夢を追うわけでもなく、現実に生きるわけでもない。
生きたいように生きられたらと思うけど、困難があればすごすごとレールの上に舞い戻る。
周りの状況次第で右往左往。
結局、僕は自分のことがわかっていないんだ。

夢を追って、つまづいたわけではない。
そんなに強く期待させるものを、僕はまだ知らない。
でも、夢を完全に捨ててしまったわけじゃない。

自分にいいところがあるなんて、思えないし、
何ができるかもわからない。
ただ僕は待ち続けている。
上か下かと迷いながら、立ち止まっている。
それはきっと、“何か”を待っているからだ。

その“何か”と出会う時、きっと僕は、本当の自分を理解する。

 

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「僕」のプロファイルと佐々木美玲

躓きの一瞬にあふれ出た思い

原因不明の躓き。
なぜ? と振り返る。

『期待していない自分』の歌詞の全編は、この一瞬に脳裏に閃いたもののように感じます。

青空と夢=上
現実と足元=下
どちらにも自分の道を見いだせずにいる歯痒さ、逡巡、ためらい。
それがふとした瞬間にあふれる。

今できることは、待つこと。
目先の期待にとびつくのではなく、これこそ心からの夢だと感じられる“何か”を待つこと。

理想の「青春」イメージが辛い

青春と言うと、汗水流して夢に向かって全力投球、というイメージがあります。
めくるめく命の炎のなかで人生を学び、友情が芽生える。

だけど、そんな風に打ち込めることを見いだせる人はかなりの少数派。幸せな例外、とすら実際には言えそうです。
むしろこの歌詞で描かれている「僕」のような在り方こそ、大多数のリアルなのかな、とも思う。

もう少し踏み込むとしたら、本当は心からの夢だとは感じていないのに、周囲から取り残されてしまうような不安から、自分に合わないことに無理に打ち込んでいる人も少なくない・・・かも知れません。

もちろんその中で学ぶことも大きいし、こういう試行錯誤から本当の夢がつかめることも多いと思います。
でも『期待していない自分』の「僕」はそういう人たちよりは腰が重い。よく言えば慎重。

「僕」のプロファイル

ひとつ言えるのは、「僕」の中には待ち続けているものがある、ということ。

僕が無闇な期待を持たず行動しないのは、消極的だからではない。むしろ猶予の状態を確保することに積極的、と言い表すのが適切であるような、そんな在り方をしています、多分。

おそらく僕は、適当に優等生なんじゃないでしょうか。
頭がいいから、打ち込めない。
おそらく周囲を気遣い、表面的にはいろいろとそつなくこなせるタイプ、だと思います。

一方で、ちょっとぼんやりしたところもある。
どこかで現実以上のものを待ち望んでいるから、ちょっとフワフワ感があります。
でも「僕」が、そういう自分自身の胸のうちをほかの人に話すことは、ほとんどありません。

みーぱんがセンターである理由

この「僕」のキャラクターは、歌詞を読み解いている中で思い浮かんできた私の勝手な想像です。

でも、もし仮にこんなイメージを共有していただけるとしたら、この「僕」ってかなり佐々木美玲さんとかぶるように思うんですが、どうでしょう。

見た感じは優等生。だけどそれを押し出すことはせず、控えめで品もよい感じ。
周囲を気遣い、協調性もあって人ともうまくやっていける。
だけど、どこかフワっとしたところがあって、つかみ所がない。
一見すると柔らかな透明感があるように感じられますが、その心の中は霧に包まれて見透かせない。
天然で、ちょっとドジなところもある。

私のみーぱんのイメージです。(みなさんと違っていたらすみません。)

MVの中でも佐々木さんは、センターでありながらかなり控えめです。メンバーに支えられながらふわっと全体をまとめている感じ。MVの中の、一瞬立ち止まって躊躇・苦悶した姿勢から一転、先頭に躍り出る姿が象徴的です。

この点、グループ全体を激しく鼓舞する欅坂46のカリスマセンターとは対照的、と言えるかも知れません。みーぱんは苦悶の姿すら穏やかで可愛い、ですよね。

こんな意味から、自分は『期待していない自分』のセンターがみーぱんであることに、しっくりくるものを感じています。

荒ぶるマカシーが象徴するもの

MVに話が移っちゃってますが、そんな「僕」の胸中に宿る熱を表現しているのが、サリマカシーこと潮紗理菜さん。MVでは跨道橋の上で『二人セゾン』の平手友梨奈さんを彷彿させる憑依系ダンスを披露しており、「あれは誰だ?」と“界隈”で話題になりました。

潮さんはカテゴリー的に優等生キャラで、普段は佐々木美玲さんと同じ穏やな人物。
なのであのダンスを見て意外に感じたファンも多かったと思います。私もMVを何度か見返してしまいました。

で、みーぱんとまかしーはけやき坂46の中でも仲がいいことで知られていて、今回のMVではちょうど「僕」の存在の外と内とを表したような格好になっているように、自分は感じました。

これも『期待していない自分』の見どころポイントのひとつだと私は思っています。

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『期待していない自分』歌詞の意味まとめ

以上、書いているうちにかなり長くなってしまいました。
もしここまで読んでくださっている方がおられたら、お礼いたします。

ポイントをまとめると、
1.期待していない自分は、本当の期待を待っているから。
2.そんな「僕」の在り方に、センター・佐々木美玲さんのキャラクターがよく合っている(ような気がする)。
ということに尽きます・笑

あと個人的には、マカシーがMVのなかで重要な役割を果たしているっぽいところが嬉しかった。

『期待していない自分』では、ファーストアルバムの看板曲に相応しく、各メンバーがそれぞれの得意技をMV内で表現しています。みんなの人生をフォローした上で、悩めるセンターが全体をまとめている。これも今のひらがなけやき坂46の微妙な、でも力強い立ち位置を表現しているのかな、と感じます。

文中、もしご不快に感じたところがあればすみません。いちファンの感想と流してくださればありがたいです。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

ひらがなけやき坂NEWS

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