「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されることになりました。
その地で潜伏キリシタンが守ってきた“オラショ”について、気になったので書いてみます。
特に唄オラショの『ぐるりよざ』を中心にまとめます。
潜伏キリシタンとは?隠れキリシタンとどう違う?
長崎の生月(いきつき)島に伝わるオラショの前提になっている潜伏キリシタンについてちょっとだけふれます。
学術的なことはわかりませんので、私が理解している範囲での話になりますが。
戦国時代の末期、秀吉がキリスト教を禁じたため、この地域でキリスト教を信じていた人たちは表だって信仰を続けることができなくなります。
そもそもこの平戸・生月という場所は東シナ海に開かれていて、外国と交易するのにとっても便利な場所だったんですね。多分そんな背景もあって、この地をおさめていた松浦の領主・隆信は、キリスト教に寛容だったのだろうと思います。
ところが時代の風が変わり、秀吉の顔を立てなければならなくなった。そのうち隆信も亡くなってしまいます。
はしごを外された格好のキリスト教徒たち。
外国から来ていた宣教師も、いわゆる「伴天連(ばてれん)追放令」で追放されてしまい、まさに迷える子羊状態になってしまいます。
ですが信仰の力は強く、公に弾圧がなされるなかでも、密かにキリスト教は守られてきた。
これがいわゆる私たちが知っている「隠れ切支丹」です。
岩の文様をマリア様に見立てたり、巧妙に細工した鏡に光をあてると、反射がマリア様になったりするというアレです。
こういう期間は明治政府がキリスト教を認めるまで続いて行きます。
でも、実はその解禁の後も、この場所で続いてきた“隠れキリシタン”の信仰スタイルは続いて行きます。
隠れる必要はもうなくなったわけですが、先祖伝来の儀礼慣習は、そうそう簡単に切り替えられるものではありませんよね。
今回の潜伏キリシタンという言い方は、どうやらこの「隠れキリシタン」というざっくりした言い方の中から、特に禁教時代に独特の仕方で信仰を守ってきた潜伏時代を、特に切り分ける目的で使われているようです。
まとめますと、隠れキリシタンは、秀吉の禁教・弾圧時代以降、この土地で独自の進化を遂げてきた信仰のかたちと人々。そこには明治の解禁以降の人々も含まれます。
一方、潜伏キリシタンというのは、とりわけ厳しい状況下で教えを守り継いで来た人々と、その文化習俗を指す、ということだろうと、私は理解しています。(素人ですから誤りはあるかも知れません。ご指摘下されば幸いです。)
隠れキリシタンのオラショとは?
というわけで、この隠れキリシタン・スタイル(スタイルなどというと言葉が軽過ぎますが、伝えやすくするためあえて書かせてください)の信仰は、いろいろな点でこの土地独自のものになっています。
そもそも教会がないという点が、伝来してきたカトリック教と大きく違います。
またカトリックでは、教えを導くリーダーが必要。神の代理人とでもいうんでしょうか。プロテスタントの牧師さんと違って、いわば強い権威をもった人が教えを授けるのが元々です。
でも平戸・生月の隠れ切支丹にはそういうリーダーはいなかったので、自ずと独自のスタイルになっていきました。
その象徴とも言えるのがオラショ。
オラショとはこの地の人々が神に捧げる祈りの言葉・祈祷文です。
最近「どっこいしょ」というかけ声の元が「六根清浄」という祈りの言葉だとNHKの番組で知りました(『チコちゃんに叱られる』)。
でもオラショのほうは「どっこいしょ」とは関係ありません。
言語はラテン語のOratio。意味はそのまま祈りだそうです。
生月島のオラショは口頭で伝承されてきました。
秘密にしなきゃいけなかったので、文書にはできなかったのでしょう。
そのため、全部で30分くらいある言葉が、祈りの際に暗唱される。
「ひと通り」と呼ばれるセットになっているそうです。
憶えるのがたいへんそうですね。
唄オラショ
その最後のほうには、唄オラショと呼ばれる唱え唄がある。
文字がない文化では、記憶しやすくするために唄が用いられることがある、と聞いたことがあります。
唄オラショにもそういう効果もあったのかも知れません。
ただ、起源をたどると16世紀のヨーロッパで、実際に歌われていたものだったという研究があるそうです。
宣教師さんが伝えたものが、この日本の西の端で代々歌われ、現在まで伝わってきたと想像すると感動ものですね。
しかも、オラショの源である西洋の地域では、その原曲はすでに歌われなくなっている。
楽譜だけ残っていたものが研究者によって現地で発見され、それが生月のオラショと同じものだと確定されたのだそうです。
その意味では潜伏キリシタンのオラショは、古いキリスト教を保管していたという面もあるのかも知れませんね。
唄オラショ『ぐるりよざ』とその歌詞
唄オラショには
「らおだて」
「なじょわ」
「ぐるりよざ」
などがあるそうです。
それぞれについて、詳しくは私にもわかりませんが、このうち「ぐるりよざ」の歌詞の一部を見つけました。
ぐるりよーざ どーみの いきせんさ すんでらしーでら
きてや きゃんべぐるーりで、らだすで さあくらをーべり
集落によって多少違いはあるらしいのですが、おおむねこんな感じのようです。
で、スペインで発見された原曲の歌詞は↓
O gloriosa Domina, excels super sidera,
qui te vreavit provide, lactasti sacro ubere.
意味はわかりませんが、栄光や聖母みたいな言葉がでてきているのかな、と思います。
聖歌ですよね。
オラショ『ぐるりよざ』の動画と、原曲らしき動画
こちらが唄オラショ『ぐるりよざ』の動画。
生月の方たちが歌っています。
こちらが原曲ではないかと言われている動画。
ほんとうかどうかについてはわかりませんが、似ています。
仮にこれを原曲と考えると、生月の『ぐるりよざ』は和風の節回しが入っているのが興味深いですね。
生月に行くなら博物館へ
今回の世界遺産認定で一躍脚光を浴びた潜伏キリシタンですが、これは過去の遺物などではなく、現地でまだ実際に行なわれている信仰です。地元では観光化に沸く人々も当然いらっしゃるでしょうが、一方で当事者の方々のなかには複雑な気持ちの人もいるのではないかと想像します。あくまで想像ですが、観光地「ではない」側面も大きいので、その点、訪問させていただく側も十分に注意したいものですね。
生月の潜伏キリシタンやオラショを知るには、現地の生月博物館が充実しています。
正式には平戸市生月町博物館・島の館。
所在地は長崎県平戸市生月町南免4289−1。
地図で示すとこちら↓
隠れキリシタン関連の資料が充実しているだけでなく、この地で過去に栄えた勇壮な捕鯨文化についても詳しく知ることができます。
もちろん館併設の広い駐車場もあります。
食事は“アゴだしラーメン”がお勧め。
アゴというのは、トビウオのこの地での呼び名で、品のよい風味が縮れた麺にからまって絶妙です。
おわりに
と、話が逸れてしまいました。
潜伏キリシタンのうち、オラショに興味を持つ人がどのくらいいらっしゃるかわかりませんが、私は妙に惹かれるものがあります。一方で日本独自の節回しが入りながらも、原曲に忠実な面もある。
歴史がもつそんな不思議な糸に、西海を望みながら浸るものよさそうです。
いろいろ書いてきましたが、私自身は専門家ではないので学術的なことはわかりません。正確ではない記述もあるかと思います。その点はどうぞご了承ください。もし誤りがあればご指摘いただけると助かります。
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