平手友梨奈さんが主演の映画『響』がいよいよ封切られました。
封切り当日、この映画『響』の主題歌が公表され、主演の平手友梨奈さんが歌っていることがわかりました。
聞くところによれば平手友梨奈ありきの映画という印象をもたれないようにするため、映画の公開まで平手さんが歌っていることを伏せていたのだそうです。
これって、「なるほど」という気もします。一般的なアイドル映画とは一線を画したかった、ということなんでしょうね。
というわけで今回はその映画『響』の主題歌『角を曲がる』の歌詞の意味に注目しました。
一見謎めいた「角を曲がる」とは何を意味しているのか?
以下、私なりに読み解いてみた結果です。
ですが、ここに書いた内容は、歌の解釈の正解を主張するものではありません。その点ご了承いただき気軽にお読みくださればと思います。
それと歌詞そのものも大人の事情で掲載できません。期待して来てくださった方にはたいへんすみませんが、専門サイトをご参照いただけたらと思います。
*『角を曲がる』の歌詞は秋元康さんです。
『角を曲がる』の歌詞にうたわれた心
それまで当たり前と思っていた自分に、疑問符がつく。
『角を曲がる』の世界は、そんな若者の心情から始まります。
それまで自分はごく普通の存在・・・言い換えれば、人間として標準的なあり方をしている、と思っていた。
でも、どうやらそうでもないらしい。
なんなら、みんなとけっこう違ってるかも?
成長の過程で訪れるこうした経験はひとつの目覚めと言えます。
自他の違いを認識することは、他人を自分とは違う存在としてはっきり認識すること。
翻ってそれは、他人とは違う「自分」を意識することにつながります。
みんな自分と同じだと思っていたのに、みんなは自分と違う=自分はみんなと違う。
みんなが普通なの? 自分が普通なの?
いや、そもそも「普通」ってなんだ?
こんなどっちつかずの相対化を、誰でも多かれ少なかれ経験するものでしょう。
そして、そういう渦中にあるときは、大人たちの声は心に届かない。
届かないから、何を言われてもただ煩わしいばかり。
「上から何を教えてくれるの?」
というわけです。
こういうときは、ただそっとしておいて欲しい。
価値観が激しく動揺しているときは、まずその動揺を受けとめるだけで精一杯。
そこへ出来合いの価値観を押し付けられれば、さらに心は波立ちます。
「あなたらしく生きればいい」
の、
「あなたらしく」
って何なのか?で悩んでるわけですからね。
『響(ひびき)』ならどうする?
だけど時間は容赦なく進みます。
学校では学年が上がり、やがては進路を決めなければならない・・・
『響』には次のようなシーンがあります。
進路相談の三者面談に臨んだ響に、先生が言います。
「わからないなら、とりあえずでいいから何か決めてみよう」
正確なセリフは憶えていないのですが、さしあたり決めてみて、様子をみてはどうか、と提案するわけです。
生徒のことを考えても、いつまでもズルズルと待っているのはマイナスと考える先生としては、妥当な発言かも知れません。実際、決めて行動してみる中で見えてくるものもたくさんありますから、一般的には正しい指導と言えるかと思います。
でも響は、そんな教師に向かって
「とりあえずなんかで人生を決めたくない」
と言い放ちます。
これも正確なセリフではないのですが、響らしい姿勢が感じられました。
さらに、先生が心配しなくとも、自分のことは自分で決める、というようなことも言っていたと思います。
要は響の場合、進路を自分で決めることができないのではなく、自分で決めるための時間が必要だ、とはっきり言っているわけですね。
この言葉こそ、自他の認識に戸惑う悩ましい時期にある多くの子どもたちが言いたいこと、なんじゃないでしょうか。
人々が言葉にできないモヤモヤした思いを、本質をついてズバリと言ってのける。
響のかっこよさは、こういうところから来ているんだろうと、私は感じています。
それは天分の言語感覚と結びついています。
とはいうものの、響のように言葉や行動に出せる人は多くありません。
『角を曲がる』の歌詞にもどりましょう。
角を曲がる、とはどういうことか?
普通ってなんだ?
自分ってなんだ?
らしくってなんだ?
そんな動揺のなかにありながら、その動揺をうまく言葉にできない。
さらに、時間にも追い立てられている。
大人や周囲からは、「自分らしく」と「普通の存在でいろ」というアンビバレント圧力。
こんな三重苦のなかでできることは、一人の世界を確保すること。
幸か不幸か、自分は不眠症・・・夜中は孤独な時間です。
ところが真夜中の路地にも人がいて、その世界も自分だけの居場所じゃないことがわかる。
なんならその出会った人も、自分と同じ理由で不眠症なのかも・・・?
というわけで、私にはまるで居場所がない。
世界にハマれる場所はないし、ハマりたくもない。
世界は私にとって中途半端。
明るくもなく、暗くもなく、私は手探りでただ彷徨うだけ。
とりあえず、また角を曲がろう。
大きな通りを歩いていれば、きっとおしきせの「らしさ」にあてハメられてしまう。
とりあえず、それから逃れるために、また路地へ逃げ込もう
・・・と、私は『角を曲がる』をこんな風に理解しています。
『角を曲がる』歌詞の意味まとめ
だらだらと書いてしまいましたので、最後に軽くまとめてみます。
肝心の「角」とは、大通りから枝分かれしている小道のようなもの。
ここでいう大通りとは、世間一般に認められている価値観。
あるいは、周囲が自分に受け入れさせようとしている価値観と言ってもいいかも知れません。
いわゆる「普通の」人生のコース、人間の型みたいなことでしょう。
だけど今の自分には、それらを受けいれることが本当に良いことなのか?
自分らしいことなのか?
そもそも、自分が何なのかすらわかっていないわけですから、決められるはずがない、ですよね。
だから、その社会的な圧力からとりあえず逃れるため、角を曲がって行方をくらます。
すぐに見つかってしまうだろうけど、そしたらまた角を曲がろう。
こんな対処療法的な逃走を繰り返すしか、打てそうな手がない。
これって当人にとっては、意識的にそうしているというより、むしろ止むを得ない場当たり的な防衛としてそうしている、と言ったほうがいいのかも知れません・・・
真夜中の通りを、角を曲がりながらさすらう。
これは、ある人にとってはヘッドフォンで音楽の世界に耽溺することかも知れないし、ゲームの世界にのめり込むことかも知れない。スマホでの友達とのおしゃべりがそういう砦になっている場合もあるでしょう。とにかく、社会的に認められる場所から、とりあえず身を引き離し、そこから逃れ続けること。それがこの歌で歌われている「角を曲がる」ことなんだろうと、今のところ私は思っています。
以上、長々と書いてしまいましたが、人によっては「的外れなこと言ってんな」という方もいらっしゃるでしょうし、「あたりまえのことを長々書いてんな」という方もいらっしゃるかも知れません。いずれにしても、ご不快に感じられたらすみません。
もちろんこれが正解ということではなく、あくまでいち平手友梨奈ファンの感想ですので、ご容赦いただけたらと思います。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
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