ものの価値ってなんだろう?
価値が有る or 無いというのは、
どうやって決まるのだろう?
大河ドラマ『黄金の日日』のなかで、
そんな問いに、千宗易(後の利休)が
鋭く答えています。
人はお米や金・銀、土地など、
物自体に価値があると思っています。
でも、つきつめると価値は
米自体、金銀そのもの、土地自身に
あるわけではない・・・、
個人的には「なるほど」と思いました。
アイキャッチ画像出典:『黄金の日々』第17話 より
価値とは、そのものが放つ光
こんにちは、大河ドラマ好きのquery(クエリ)です。
ドラマを見ていると時々、深く印象に残るセリフに出会います。
今自分は昭和の大河『黄金の日日』にハマっていて、
今回はその第17話「乱世独歩」シーンのセリフから。
世に価値あるものというのは
いずれも、そこにしかない光を放つものだ
ものの価値とは、そのものが放つ光のことだ
さて、これは幾らで買い取ろう?*大河ドラマ『黄金の日々』第17話 乱世独歩 より
セリフの背景と解釈
大商人・今井宗久のもとを離れて、
行商人として独立した主人公・助左(松本幸四郎)。
最初の商材として木綿の反物を、苦労して手に入れましたが、
千宗易から安く仕入れたという商売敵の前にあえなく撃沈。
「卸値を不当に安くしているのではないか」と
逆恨みした助座は、宗易の元に直談判に赴きます。
その時のやりとりの中で、宗易は物の値段、即ち
価値とは何なのかを、やんわりと助座に諭します。
人と同じ木綿を、自分が食べられるだけの薄利を乗せて
売るだけでは、何の価値もない。
そこには何の工夫もなく、ビジネスとは言えない。
他に代え難い工夫、得がたい輝きがなければ。
そう説いた上で、
「助左、お前の木綿にはどれほどの価値があるのか?」
「いったいいくら欲しいというのか?」
と、宗易は痛烈に問うているのです。
穏やかに言ってますが、宗易的に言うなら、
助座の木綿は価値ゼロ、0円です。
助左は最初のうち宗易の真意を理解できず、
自分の望む金額を受け取り、立ち去ります。
…なんと恥ずかしい。
しかし、帰り道で木綿を火縄に加工することを思いついて
引き返し、木綿を引き取って金を返します。
「木綿の火縄は火が消えにくく、濡れても再び使える」
と、銃の名人である盟友・善住坊(川谷拓三)が
話していたことを思い出したのです。
…主人公の面目躍如です。よかった。
時代は鉄砲。
消えにくい火縄の需要はMAX。
その風をとらえ、木綿を輝かせる工夫に助座は成功し、
木下藤吉郎(後の秀吉)に納入、商売を発展させます。
経済学の方面はよくわかりませんが、
価値とは何か?
お金の正体とは何なのか?
少なくともそれは「物」ではなく、
そも物が担っている何かであることは確かなようです。
宗易はその「何か」を「光」と表現しました。
なるほど、価値を感じる時は確かに、
その対象にオーラを感じる時でもありますし、
現代の商品はそのオーラを、最大限に高める工夫を
あれこれとしているようにも思います。
『黄金の日々』について
『黄金の日々』はNHKが1978年に放送した大河ドラマ.
主人公の助左は松本幸四郎(現・松本白鸚)、
のちに呂宋(るそん)助左衛門として
大成する貿易商です。
織田信長と昵懇の関係を結ぶ
今井宗久の下で働きながら、
秀吉やねねと独自の関係を築きつつ
ルソン交易を開いていくビジネス冒険譚。
ほかの戦国大河と違って、実業家が
主人公ということで、今回のような
「価値とは何か?」
のようなテーマも出てきます。
現代を生きる私たちにも身近で、
発見も多いドラマです。
『黄金の日々』を見る方法
『黄金の日々』はNHKオンデマンドで
配信されています。
私はU-NEXTのポイントで見ています。

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