『Student Dance』のMVが公開されました。欅坂46の7thシングルのカップリング曲です。
これがまたカッコいい!
個人的には表題曲より好きかも?
てかここまで期待の上を超えていくグループって、嬉しすぎます♪♪
しかもこの『Student Dance』は、MVの映像からしてあのスタンリー・キューブリック監督の名作(問題作?)『時計じかけのオレンジ』へのオマージュ感が、ありありと見て取れます。
もちろんそういう伏線を知らずに見ても十分かっこいいし、余計な知識抜きで楽しむのも当然アリ、だと思います。
ただ、たぶんこれから『時計じかけのオレンジ』がどうしても話題になってくると思うので、歌詞の意味にふれながら、少しこの『時計じかけのオレンジ』との関係について書いて見たいと思います。
ブログ主の力量を超えている気もしますが、ともかく「映画見たことない」って人にもわかるように心がけました。(*正直、むやみに見るとヤバい映画。そのあたりにもふれます。)
『Student Dance』の歌詞の意味
『Student Dance』の歌詞については、特に意味がわかりにくいという点はなさそう。
真夜中の学校に忍び込む。
学校なんてダサい場所だけど、
大人の邪魔が入らない点では好都合。
社会的なしがらみの糸を断ち切って
今だけはマリオネットをやめよう、
朝までただ感じるまま、今を楽しもう。
みたいな内容だと思います。
欅坂46の曲として新しいと感じたのは、全体を覆うデカダンス感。
今この瞬間を生きる刹那感みたいなものは、これまでもありました。
でもそれは先の見えない手探りのレジスタンスとともにあって、若さゆえの儚さや脆さを感じさせるものだった。
ですがこの『Student Dance』ではその刹那感が退廃的な空気感に結びついています。
無機質に刻まれる低音のリズム、トップからのライトに浮かび上がるメンバーの顔。
でもその表情には時折笑顔も見えて、私たちはどう受け取ったらよいのか、一瞬戸惑ってしまいます。
なんだろう、この雰囲気は・・・?
以前『エキセントリック』に感じたものとも少し違う・・・
『Student Dance』MVと『時計じかけのオレンジ』
MVでメンバーが身にまとっている白い衣装に黒い帽子、そして重々しいブーツ。
これは、映画を見たことがある人ならば決して忘れることはない『時計じかけのオレンジ』のアレックスたち=暴力集団が着ていたチーム服に酷似しています。
『時計仕掛けのオレンジ』のアレックスのフィギュア
*画像出典:映画「時計じかけのオレンジ」の非公式フィギュアが登場! | ギズモード・ジャパン https://www.gizmodo.jp/2016/05/a-clockwork-orange-alex-figure.html
『時計じかけのオレンジ』はSF作品でありながら、舞台はもっぱら地上。宇宙船は出て来ませんし、エイリアンも登場しません。
暴力とベートーベンをこよなく愛する少年・アレックスが暴虐の限りを尽くし、矯正され、そして過去のツケを払わされるという作品。こう書くと勧善懲悪・因果応報のストーリーのように見えてしまいますが、その実、おそらくテーマは別のところにあります。
ここに来てくださった方々は、多分映画をご覧になったことがない方たちだと思いますので、一度見ていただけたらとも思うのですが、それにはちょっと注意が必要。
暴力シーンがあまりに凄惨で、大人でも目を覆いたくなるほどです。そのひどさはイギリスで上映禁止になったことがあるほど。特に若い方に向けては、不容易にオススメできない映画となっています。多くの場合、デートで見るにも向きませんのでご注意ください。
水しぶきが意味する『雨に唄えば』
『Student Dance』が『時計じかけのオレンジ』を連想させる要素は、衣装の他にもあります。
それはMVの随所に出てくる水しぶき。
もんちゃんがキレッキレの動きで跳ね上げ、てちが蹴り上げるあの水滴。
これは『時計じかけのオレンジ』で主人公アレックスが暴力をはたらく時に口ずさむ曲『雨に唄えば』になぞらえていると思われます。
『時計じかけのオレンジ』は見たことないけど、『雨に唄えば』は見たことがある、あるいは聞いたことがある、という人は多いでしょう。映画史上に残る名作で、この曲にのせて雨の中、タップダンスを踊るシーンはいろいろな場面で引用されています。
『時計じかけのオレンジ』ではこの『雨に唄えば』の軽妙なフレーズを、アレックスたちの凄惨な暴力にかぶせることで、恐ろしさを倍加させています。
その印象がきわめて強烈なので、『時計仕掛けの〜』を見たことがある場合、
[黒いハット+白いつなぎ+黒いブーツ]× 水しぶき
という組み合わせを見ると、どうしても『時計じかけのオレンジ』を連想させられてしまうのです。
『時計じかけのオレンジ』のテーマと欅坂46
『Stundent Dance』と『時計じかけのオレンジ』との共通点は、衣装や演出などの表面的な部分にとどまりません。
『時計じかけのオレンジ』はSF作品と書きましたが、それは未来社会を描いているから。
進んだテクノロジーを土台にしたファンタジーを描くのもSFですが、現代社会の問題点をその方向性のまま延長し、未来の姿を描くのもSFのひとつの姿。
『時計じかけのオレンジ』はまさに後者の典型的作品。今の社会の問題点を極大化し、風刺した映画なんですね。
暴力とベートーベンが好きなアレックスは、平穏な社会にとっては異物、いわば、エキセントリックです。
一方その社会の平穏さは、人間が本来もっているような衝動を抑圧した上に成り立っている。
アレックスたちはその抑圧の象徴として、日々その解消=暴力衝動の実行にいそしんでいます。社会の多数派と、アレックスたちエキセントリックは、もはや通常のかたちでコミュニケーションすることは不可能。唯一の接点は暴力しかありません。
ですが、やがてアレックスは逮捕されてしまいます。
収監されたアレックスを待っているのはさらなる暴力。それも見方によっては、直接的な暴力よりもさらに背筋の寒くなるようなルドヴィコ療法という名の「精神矯正」。
アレックスは何やらものものしい装置にくくりつけられ、二度と暴力をふるうことがないよう、当局によって人格を改造されてしまうのです。
はじめにアレックスが社会に加えた暴力と、次に体制がアレックスに加えた暴力が、『時計じかけのオレンジ』の大きなテーマになっていると思います。(その後、解放されたアレックスには、かつて彼が暴力を加えた者たちからの復讐が待っているのですが、それはストーリーをわかりやすくするためのおまけのように私には見えます。)
『Student Dance』とは何か?
『サイレントマジョリティー』以来、欅坂46が叫び続けてきたレジスタンス。その背景に横たわっている巨大なものが、『時計じかけのオレンジ』には描かれています。それは煎じ詰めて言ってしまえば、人間のマシーン化。状況に対してただ歯車のように機能する人間たちの姿。
周囲で写真を撮影しているオーディエンスに、欅坂のメンバーは時計の文字盤の上から水をかけ、問いかけます。
「もしいま、声をあげなかったら、どうなる?」
「もしいま、自分のなかにあるガラスを見つけ出し、割らなかったらどうなる?」
その先にあるのは、時計じかけのオレンジの世界、なんじゃないでしょうか?
社会がいやおうなく押し付けてくるものを受け入れ、その代わりに無難な生活を享受する。
でも、たとえそれが叶ったとしても、抑圧された衝動はどこかに吹き溜まり、水面下で着々と誇大化し、やがてアレックスのような存在を生み出していく・・・いえ、それはすでに私たちの身のまわりに生まれてしまっているのかも知れないと思います・・・思い当たるニュースって、ないでしょうか?
真夜中の学校で人知れず行われる Student Dance は、そんな世の中を生み出す人間にならないための、秘密の抵抗の儀式のようなものかも知れません。
おわりに
以上、欅坂46の7thシングルカップリング曲『Student Dance』の第一印象を書かせていただきました。
特に映画『時計じかけのオレンジ』のテーマと欅坂46のテーマとの関係に注目した記事になりましたが、だからと言ってそのことにこだわる必要はないのかな、とも思っています。私の個人的な解釈ということをおことわりした上で、もしご参考になるところがあれば幸いです。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
コメント