欅坂46の7thシングル『アンビバレント』が先日公開されました。
つい先ほどMVも公開され、そのポップな仕上がりに、深夜にそぐわないほどテンションが上がってしまったブログ主です・笑
エンディング前のわちゃ感がいいですね。理佐の破壊力。そして何より平手友梨奈さん。さらにパワーアップしてるのがひしひしと伝わってきます。メンバーたち生き生きして見えるのは、やはりいるべき場所にいるべき人が戻ったのが大きいと思います。
それにしてもタイトルが『アンビバレント』とは・・・欅坂46らしいです。
歌詞の内容を読んでみると、表面的にはいわゆる“夏うた”。夏だから恋しなきゃ、みたいな流れあるけど、自分は一人が好きなんだよね。でもぼっちも辛いよな。どうする? というポップな曲。でもその奥にはやっぱりこれまでの欅坂ストーリーが踏襲され、さらに発展させられているように感じました。
そんなわけで今回はこの『アンビバレント』の歌詞の意味を手前勝手に読みほぐしながら、これまで欅坂46が楽曲で描き出してきたストーリーとどうつながるのか、私なりに書いてみたいと思います。系統としては『風に吹かれても』の笑顔あふれる軽快な曲に連なりそうですが、風に舞う木の葉よりはずっと手応えのある、確かなものが含まれていそう。
個人的な意見になりますので、他の人がこの『アンビバレント』をどう感じているか興味がある方にご覧いただけたらと思います。また自分は単なる一般の欅坂ファンなので、ここに書いている内容が正しい解釈というわけではありません。みなさんご自身の解釈をたいせつになさって欲しいと思いますし、できればコメント欄で教えてくださると嬉しいです。
なお、歌詞そのものは大人の事情で掲載できません。歌詞を探して訪れてくださった方には申しわけありませんが、専門の歌詞サイトなどをご参照ください。
*アイキャッチ画像出典:欅坂46『アンビバレント』公式MVより
アンビバレントの意味をわかりやすく言うと?
まずタイトル『アンビバレント』の意味を軽く確認しておきましょう。
ネットで調べると難しい言葉が並んでいますが、つまるところ二つの矛盾する感情に拘束されている状態を言うようです。
つっても抽象的すぎますよね。アンビバレントはもっとジリジリ・ヒリヒリした、リアルな感情だという気がします。
たとえば、ちょっと唐突かもしれませんがこんな(↓)例はどうでしょうか。
一年の時から一緒に頑張ってきた友だちがレギュラーに選ばれた。
陰で地道な努力を重ねてきた友人の姿を自分はよく知っている。だから「やったな!よかったじゃん!」と自分のことのように嬉しい。でも心の奥底では「自分はなぜ選ばれないのか? なんなら自分の方が頑張ってきたのにな」という気持ちもある・・・こんな状況がアンビバレンスで、その形容詞形がアンビバレント。
単なる嫉妬心や反発心じゃなくて、肯定的な気持ちも本当にあるのが厄介なところ。
さらに続けると、レギュラーの選抜発表の後はじめて彼と廊下で出くわした。
「あ、レギュラー、おめでとう」(アンビバレント)
・・・言葉の背後に、複雑な感情が渦巻きます。
彼の成功を純粋に喜べない自分にも違和感を感じる。
試合当日。
彼がギリギリのところで勝負を決めるナイスプレイをした。
「うおー、すげえ、やった!」
・・・おまえ、どんどん遠くへ行っちゃうな(アンビバレント)。
彼に対するアンビバレントな感情は増殖し、ことあるごとに自分を傷つけます。
それに耐えきれず、いっそ友だちなんかやめちゃえ、もう絶縁だ! となればアンビバレントな状況からは解放されます。白黒つければ自分の胸の内が波立つことはない・・・だけど、成長もない。
このあたりがアンビバレントのキモだと思いますので、実際の歌詞にうつりましょう。
『アンビバレント』の歌詞の衝撃
『アンビバレント』の作詞は秋元康さんです。
出だしの部分は、周囲と関わりたくない主人公の心情が描かれています。
他人に何を思われても
何を言われても聞く耳持たない
干渉なんかされたくない興味がない
欅坂46ではおなじみのフレーズ。
ただ自分にまっすぐあろうとする主人公。
周囲の世界はblah、blah、ごちゃごちゃとめんどいだけ。
孤独なまま生きていきたい
ここまでは違和感のない展開ですよね。
こういうメンタリティこそ欅坂ファンを結びつけてきたものかもしれない、とも思います。
ところが、次がすごい。
だけど1人じゃ生きられない
『アンビバレント』の新しさ
デビュー以来、欅坂46が描いてきたのはレジスタンス。
目の前の世界への抵抗です。
愛しかない世界を信じ、声を上げろ・立ち上がれ、と檄をとばした。
未来のためにプライドなど捨て、周囲との摩擦を恐れず前進せよ!
これが欅坂46のアイデンティティでした。
ところが『アンビバレント』では、周囲というものが別の意味を帯びはじめています。
外の世界はごちゃごちゃとわずらわしく、自分の世界を脅かすものでありながら、完全に切り捨ててしまうことはできない、そういうものとして描かれていることが感じられます。
では外の世界を切り捨てられないことに、この主人公はいらだっているのか?
面倒なのにどこまでもついてくる、そんな感覚で、ムカついているのでしょうか?
アンビバレントの内実
歌詞を読み進めると、そうではないことがわかります。
人間関係面倒で及び腰
話を聞けば巻き込まれる
良いことなんかあるわけないじゃない
それでも誰かがいなけりゃダメなんだ
面倒な人間関係はすべてのトラブルの元です。
そのために自分の時間が奪われることだってある。
だけど、それでも、「誰かがいる必要がある」と主人公は感じている。
「それでも誰かにいて欲しい」と言い換えてもよさそうな展開です。
ほんとうは孤独が好き。自分の世界に生きていたい。
でも、誰かを必要としている自分がいる。
キャラにはないような無理をしてでも、誰かを愛したい。
そんな衝動をこの主人公は、ほかならぬ自分の内側に感じているのだと思います。
1人になりたいなりたくない
1人になりたいなりたくない
この二律背反・矛盾した感情が、『アンビバレント』の内実と言ってよさそうです。
レジスタンスからアンビバレントへ
『サイレントマジョリティー』以来の欅坂46は、周囲との葛藤を抱えていました。
若く純粋な心には、周囲の世界は汚れて不完全に映る。
それに意を唱え、自分を貫こうとする。
周囲の世界との間に不協和音が起きるけど、むしろそれを積極的に引き起こすことこそよしとされるべきだ、という姿勢。
エキセントリック(変人)といわれたっていいじゃないか、そういう周囲こそがおかしいんだ、という世間への痛烈な「No!」。
ところがこの『アンビバレント』では、葛藤は自分の内面にある。
周囲の世界を否定し、大人はわかってくれない、と訴えているうちはむしろ楽。
でも今はそんな風には言えない。なぜなら自分は周囲を必要としている。
否定してきたもののなかに、自分に必要な何かがあると感じ始めている。
戸惑いとぎこちなさ
「外側」を必要としていることが、これほど明瞭にうたわれたのは初めてなのではないでしょうか?
『二人セゾン』では、君(外側)が僕の扉を開いてくれました。
『避雷針』は外側からの、一方的で献身的な愛が歌われました。
だけど『アンビバレント』のヒロインは自ら愛することを欲しています。
そしてそんな自分に戸惑ってもいる。
夏だから猫も杓子も猛ダッシュ
ハッシュタグ付けた恋なんてごめん
太陽味方に付けたような
よくいるタイプの単細胞
さあ何を始める?どんな会話する?
折しも季節は夏。恋の季節です。
ところが、これまでそっち方面に向き合ってこなかったヒロインは、おしゃれに関心を持ち始めた子どものように、不似合いなことをし始めてしまう。
最初って、まあそんなものかも?
愛するために必要なこと
このヒロインは、愛するためにはどうすればいいのかについても、ぎこちなく悩んでいます。
ちゃんとしていなくちゃ愛せない
ちゃんとしすぎてても愛せない
自立した人間でなければ、愛することはできない。
だけど、自立しすぎていても愛せない。
誰かを必要としている自分を感じている。
だけどまだ愛を知らない、という状態かもしれません。
人を深く愛し、時に汚れているようにうつる外の世界を受け入れるためには、心の成長が不可欠。
そしてまた、白黒つけられない葛藤・矛盾を内面に置いておくにも、心のエネルギーが必要です。
この点で『アンビバレント』は『風に吹かれても』よりも手応えのあるものを抱え込んでいるし、『ガラスを割れ!』よりも大人になりかけていると言えるのかもしれません。
ただし、このアンビバレントが深いのは、これまでの激しい否定があってこそ。
自分は一人でやっていける。周囲がどうあれ自分の道を進むんだ、という強固な信念の中に、他者を必要としている自分が芽生えたことの衝撃・ギャップ。これが欅坂46とわたしたちにとって『アンビバレント』を貴重な楽曲にしているような気がします。
おわりに〜白と黒を身にまとうこと
秋元さんは作詞をする時、その時々のグループの状態にあったものを考える、とどこかで言っていました。
そのほうが感情移入しやすく、気持ちの入ったパフォーマンスができる、とも。
その意味で、ここでみていただいた『アンビバレント』の変化は、秋元さんが読み取った欅坂46の変化なのかな、と私は思っています。この先、全ツや夏フェス、年末にかけての歌番組などで披露してくれるでしょうから、楽しみですね。
これを書いてからMVを見たのですが、メンバーの生き生きとした様子を見ていて思いました。
不機嫌で深刻な表情をしていたかつての少女たちは、このMVでは人間らしく笑い、踊るため、平手さんに呪縛を解かれます。
戦うために覚醒させられたのではない。
うまく言えませんが、人の世は矛盾で満ちていて、だからこそそこに感情が息づき、揺らぐ余地が生まれます。
ストーリーの中では白と黒とが巧みに使われているんですね。
白く凍りついていたものが、その下に黒を受け入れることで表情を取り戻す。白と黒のアンビバレントを欅坂46は喜んで受け入れ、楽しんでいる。
かつて真っ白なものを嫌い、むやみに汚したくなってしまったのはなぜか? その答えもこのMVの中にあるような気もしました。
もしこんな解釈が当たっているとしたら、なかなか素敵な成長っぷりじゃないでしょうか。
葛藤を心の内側に受け入れて、それを自分が生き生きと存在するための喜ばしいものとして捉えている・・・大人な姿勢と言えるかもしれません。
長くなりそうなのでこのあたりにしておきます。
もしここまでおつきあいくださった方がいらっしゃったら、お礼申し上げます。
ありがとうございました。

コメント
欅坂の世界観、コンセプトに魅了されまくっているいちファンです。考察を読んでいつも泣けてくるのは私だけでしょうか。自分が勝手に楽しんでいる「欅坂劇場」と見事にリンクしている考察と思い、なんだか感謝の気持ちでいっぱいです。これからも楽しみにしています!
まるけさん こんにちは!
コメントをどうもありがとうございます。
同じような角度から欅坂46をご覧になっている方がいると知り、自分もとても嬉しいです♪♪
書きながら自分でも暴走気味かな、と思っていたので、少し安心もしました。
こんなネットの片隅へのご訪問、こちらこそ感謝、感謝です(^^)
それにしても平手さんが戻って嬉しいですよね。
やっぱりオーラあるなぁ、という感じがします。
いい楽曲を得て、ますます坂組は盛り上がりそうです。
これからも一緒に応援していきましょう(^^)/
暴走気味、あえて否定しませんっ笑でも、そこです。そこすごく好みのポイントです!そして決して暴走してるだけじゃないところも同じぐらい好みです。
メンバーの色んな心配事は諸々あるんですが、不安定なところも欅の魅力として、いけるとこまで応援してきましょー
まるけさん
お返事どうもありがとうございます!
共感していただけてほんとうに嬉しいです。
書いた甲斐がありました(^^)
そうですよね、メンバーそれぞれに思うところがあるでしょうし、与えられている役割が違いますから、まさにアンビバレントな思いを抱きながら活動している人もいそうです。
でもそれを乗り越えるからいいグループになっていくんでしょう。おっしゃるとおり「いけるところまで」見届けたいと思ってます。
とりあえず、まだまだいけそうですね♪♪
アンビバレント。
青春時代だろうが何だろうが、自分との向き合いの中でアンビバレントな瞬間は果てしなく続いていくもので。
そして「生きるとは変わること」と、二人セゾンで結論づけたものがここへ来て脈々と…
一般的に目に映りがちな「ダンスとかなんかカッコいい」というMVの裏側には、メンバー全員の「強烈な自分との向き合い」からの確かな成長を感じて、ホロホロと泣けちゃいましたよ♪
そして、くえりさんの考察をゆいぽんに見てもらいたいなぁ…
と、思っちゃいました。
おっしゃるとおりですね。
むしろアンビバレントな状況は
歳を重ねることに増えていくような気がします。
ぽんちゃんに?
どのあたりでしょう、、、
どこかでまるけさんのお考えも拝見できると嬉しいです♪
オーディションも気になりますね。
いつもご訪問、どうもありがとうございます!
ゆいぽんはメッセでずーみんに関して複雑な思いを吐露していたんです…あ、これゆいぽんのメッセ取ってないと伝わらないすよね。
それはそれは実直な彼女らしい本気のメッセージで…
くえりさんのアンビバレントへの考察が彼女へ届いていたら、すごーく確かな支えになるのにな。って、僕なりに思ったわけなんです。
そうでしたか、メッセとってないので、話が通じずごめんなさい。
教えてくれてありがとうございます。
ぽんちゃんは今回の件でかなり戸惑っているのでしょうね。
いい形で乗り越えて欲しいけど、どこかでまた“ゆいちゃんず”を見たい気もします。
根拠は全然ありませんが、また見られるような気も、どこかでしてます。
楽観的すぎますかね・笑
実は何度かライブ参戦してるんですけど、ゆいちゃんず観れてなくて…「1行だけのエアメール」が私的名曲なんです。
んーー、欅のライブではもうやらなそうだし、あるとしたら今泉の卒業の絡みで… 拝みたいところす。