「ルビコン川を渡る」、時折耳にするフレーズですよね。
後戻りはもうできないという意味で、重大な行動を起こす時に使います。
でも、どうしてそういう意味で使われるのでしょうか?
由来を知らないので、いまいちピンと来ませんよね?
それに、そもそもルビコン川ってどこにあるんでしょうか?
アフリカ? アジア?
いえいえ、実はヨーロッパ。
というわけで今回はこの「ルビコン川を渡る」の意味と由来を、ルビコン川の場所とともに確認しました。
「ルビコン川を渡る」の意味
我々はもう後戻りできない。
その例えに使われるのが「ルビコン川を渡る」というフレーズです。
意味としては、その行動が重大なものだということと同時に、後のない決死の賭けであるというニュアンスも感じられます。
由来を知ると、このニュアンスがよりはっきりとイメージできます。
「ルビコン川を渡る」の由来
「ルビコン川を渡る」の起源は紀元前のローマ。
中心人物はあのカエサル(シーザー)です。
カエサルはローマの辺境の地、ガリアへ総督として赴きます。
これは、次々と改革を行なうカエサルを、ローマの支配層が疎んじた結果の左遷だったという話もある。
それでもカエサルはきっちり仕事をしてガリアを平定。
名指導者の勢いはとどめることができません。
勝利したカエサルは軍をともなってローマに凱旋。ですが、ローマに入るには武装解除をすることが習わしで、それを無視すると中央への反逆と見なされることになっていた。
ところがカエサルは、軍を伴ったままローマに進軍。元老院との間で内戦が起こります。
この時のカエサルの道中において、ローマとの境界に存在していたのがルビコン川。
その川を渡ることによってカエサルは、取り返しのつかない一歩=元老院への叛旗を翻したことになります。
「賽は投げられた」という有名な言葉も、この時のカエサルから出た言葉だと言われています。
結果、カエサルは勝利してローマに凱旋。元老院の権限を縮小してさまざまな改革を行ないます。
「ルビコン川を渡る」とは、古代ローマの英雄物語にちなんだものだったのですね。
ルビコン川の場所はどこ?
そういうわけでこのルビコン川、当時のローマの北限にあって、辺境の地の境界に存在していた。
カエサルが一大決心をして軍を進めたという川、さぞかし大きな川なんだろうと思いきや、実は場所すらはっきりしない、小さな川だったもよう。
フィウミチーノ川と呼ばれていた川がルビコン川ではないか、という説があるものの何しろ古い話。フィウミチーノ川自体も、全長にして30kmほどもないような川にすぎません。
そこへもって川道の変更などもあり、ルビコン川の場所については現在もひとつの問題になっていて、ちょっとした議論の的なんだそうです。
そんな状況に業を煮やしたかのムッソリーニ。政令によってフィウミチーノ川をルビコーネ川と改称してしまいます。
しかしこの措置、英雄物語にちなんだ地を無理矢理に上から定めた格好になり、かえっていろいろな議論を呼ぶ結果になっているとか。
カエサルが渡った本物のルビコン川の候補としては、旧フィウミチーノ川のほかに、ピシャロッテ川やウーゾ川が議論されているそうです。
ルビコン川は地図でどこ?
いちおう、現在のルビコーネ川の場所を記してみます。
書いて来たような次第なので、カエサルが渡った川なのかどうか、川のどの部分を渡ったのかはわかりません。
ストリートビューで見ると、川の小さい様子がよくわかります。
おわりに
「ルビコン川を渡る」は、イタリアはローマの故事にちなんだものだったのですね。
ルビコン川の場所は諸説あるようですが、おおよそイタリアの北部にあったと考えられているようです。
いきなり話が変わりますが、誰の人生にも一度や二度、川を渡る瞬間が訪れるのかも知れません。
そんな時は、カエサルのこのルビコン川の故事を思い出すと、勇気を与えてくれるかも知れませんね。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
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