『避雷針』のMV見たら、歌詞の意味から霧が晴れてせつない!(欅坂46・興和三次元マスクCM曲)

欅坂46『避雷針』 欅坂46

欅坂465thシングルのカップリング曲『避雷針』が凝っています。
歌詞を読み直してからMVを見たのですが、思わず泣けてしまいました。(<いつもやろ・笑)

というわけで、今回はこの『避雷針』の歌詞の意味について、MVの読み取りも交えながら書いてみたいと思います。ただ、あくまでも個人の感想なので、解釈の正しさを主張するものではありません。いろんな見方を面白がって下さる方にご覧いただけたらと思います。それと、歌詞そのものについては事情により掲載できません。せっかく来てくださったのにすみませんが、専門の歌詞サイトをご参照ください。


アイキャッチ画像出典:欅坂46『避雷針』公式MVより

 

『避雷針』のさまざまな理解・解釈

『避雷針』の発表からはすでに時間がたっているので、いろいろな方が感想・解釈を書かれています。この夏の全ツの印象がまだまだ鮮烈な中、メンバーと、病みがちだった平手さんとの関係にこの『避雷針』をなぞらえているもの、あるいは『エキセントリックと』との照応にふれているものなどを拝見しました。
なるほどと思うところも多く、刺激を受けましたし、参考にもなりました。ありがとうございます!

ここでは、欅坂46をめぐる状況はとりあえず置いておき、まずは歌詞とMVの内容そのものから、想像をたくましくして書いてみたいと思います。おつきあいくださる方は、どうぞよろしくお願いします。

『避雷針』の世界

歌詞を読んで見えてくる『避雷針』の世界は、私としてはこんな↓具合です。

開くことのない踏切のように、かたく心を閉ざす君。
外と交わることをためらい、服装すら借り物で自分を隠している。
そして日常を、ただやり過ごす。

君は強がっているけれど、何かを諦め、放棄している。
ただ、それほど不幸に見えないのは何故なんだろう?

そんな君が、僕は気になって仕方がない。

けたたましい警報音を鳴らし続けるのは、会話を避けるため。
誰とも関わらず心を通わせなければ、深く傷つくこともない。
それでもいいかも知れないけれど、それで生きていると言えるの?
・・・僕は何に惹かれているのだろう?

君はきっと、胸の奥で何かを必死に守っている。
それが君を支え、また、僕を惹き付ける。
君のその生き方がポジティブなのかネガティブなのか、僕にはよくわからない。
ただ、目を離すことができない。
だから僕は空気のように気配を消して、ただ君の避雷針になろう。
君の望む、平凡で何事も起こらない無機質な日々を、僕が約束しよう。

 

『避雷針』の“僕”は誰?

『サイレントマジョリティー』以来の欅坂劇場では、戦うにせよ逃避するにせよ日常に苦悶する人物が描かれていました。でも『避雷針』では、その人物の傍らに立つ人の目線から世界が描かれています。これは新しい、ですよね。

ここで「君」と呼ばれている存在は、欅坂ウォッチャーにとっては割とおなじみのキャラクター。周囲の状況から身を閉ざし、うわべだけ世の中に適応し、やり過ごしている。でも心の奥底では、大切なものを守ろうと必死に抗っています。

「君」は心の奥の大切なものを捨てていないので、それほど不幸には見えない。でも多くを諦め、捨て去っていることには違いない。でも他にどうすればいいのか? 僕は、半ば君の生き方に共感し、半ばは危ういと感じている・・・ただわかるのは、そんな不器用な君を守りたい、ということ。

「愛の避雷針」と最後に出てくるとおり、僕のこの感情は、善悪や真偽を越えたものです。締めくくりのフレーズとしては昼メロドラマのようでもありますが、これは意外に重い意味を持っていそう。欅坂革命の目的地は「愛しかない世界」ですからね(私見です)。

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鎮魂の歌と舞踏

絵もないまま長くなり、ご覧いただいている方には申し訳ないのですが、話はここからなんです、すいません。

問題はMVなんです

ただならぬ雲行きと雷鳴から始まる『避雷針』のMVは、どこか非現実的な雰囲気を漂わせています。実際にある景色というよりは、あの世というか、いわゆる心象風景とでも言うのでしょうか。

避雷針はすでに枯れている

そして冒頭に出てくる一本の木。
傍らに平手さんが倒れていることからして、この木こそ避雷針になった「僕」だと思われます。背景には雷鳴が轟き、枝も払われていることからして、この木がすでに雷に打たれた後であることが想像されます。
つまり、

“僕”はもうこの世にはいない

守ろうとしたものと失われたもの

倒れている平手さんは、心を閉ざしていた自分の記憶を夢のなかでたどっています。フードをまぶかにかぶり、諦めたように歩いている。その目は死んでいます。

目覚めて振り返ると、自分の身代わりになって枯れた木が傍らに立っている。

欅坂46『避雷針』
画像出典:欅坂46『避雷針』公式MVより

失われたものに気づき嘆くヒロイン。やがて身を沈めようと湖に歩を進めます。

鎮魂と再生

そこへ、救うべき仲間を探していたメンバーたちが平手さんを見つける。

ストーリーが前後しますが、森の中をさまよっているメンバーたちの動きは機械的で、どこか不気味です。これは穿ち過ぎた見方かと思いますが、しばしばジグザグの形態をとっており、私は端々で紙垂(しで)を連想しました。神社の縄に下げられたそれは、雷の形を表していると言われています。

いずれにしても彼女らと出会うなかで、ヒロインの閉ざされていた心は開かれて行きます。

これも私の印象ですが、湖に膝をつき、横並びで機械的な動きを見せるメンバーたちは、どこか古代の巫女たちのようでもあります。ここでの理解になぞらえるなら、避雷針となった僕への鎮魂の儀式のようでもある。

でも彼女たちはやがて水しぶきを上げて立ち上がり、動きの質も変化していきます。
半ば眠り込んで取り憑かれたような動きだったものが、『不協和音』を思わせる、強い意志を感じさせる力強い足取りで、楔形のフォーメーションをつくっていきます。そして先頭の平手友梨奈さんの指先には、「僕」とメンバーから雷の力が託される。

この切り替えの鮮やかさ。霧深い湖も、死と再生のドラマに相応しい舞台だと感じずにはいられません。

欅坂劇場の中の意味

欅坂46の楽曲を関連づけてストーリーを想像して楽しんでいる方も多いでしょう。私もその一人ですが、そんな欅坂劇場のなかにこの『避雷針』を位置づけるとしたら、『エキセントリック』から『不協和音』の間がハマりそう。

たいせつなものを守るため、世捨て人さながら孤独に歩むことを決めた“エキセントリック”。
他方、一切の妥協を許さず、世の中に波風を立てることを恐れない不協和音。双方の主人公は、根は同じなんですが、相容れそうもなかった。

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でもこの『避雷針』では、その二人をつなぐ過程が明らかにされている(気がします)。

鍵となるのは、エキセントリックな主人公を見捨てず、見守り、盾になった存在。
彼はちょっと不思議な存在です。必ずしも主人公の生き方に共感しているわけではない。先ほども書きましたが、正しい or 正しくない、よい or 悪いを超えてただ「守りたい」と彼は願っていて、MVによればその身まで捨ててしまったと考えられます。

そんな“僕”の在り方が、それまでとは違う価値観を主人公に教えた、とは言い過ぎでしょうか?
主人公はその僕から、愛の前にその身を盾にすることを学んだ。

欅坂46『避雷針』
画像出典:欅坂46『避雷針』公式MVより

私は『避雷針』をこんな風に理解しています。

 

おわりに

5thシングル『風に吹かれても』は、これまでの欅坂46とは違った、軽快な曲です。「なるようになるさ、それでいい」的ないなし方は、新しいけれども少し物足りない感もありました。

聴いた当初は、こちらの『避雷針』もちょっとピンと来なかったのですが、MVまで含めてみるとかなり「欅坂らしい」曲と言えそうです。

ここまで好き放題に書いて来ました。もし最後までご覧くださった方がおられたらお礼申します。
先走りすぎた解釈に、ご不快に感じたかたもいらっしゃるかも知れません。だとしたら本意ではありませんので、どうぞご容赦ください。

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