森田童子『ぼくたちの失敗』の歌詞の意味〜僕と君とは男女関係?

森田童子さんがお亡くなりに
なっていたと報じられました。

驚くと同時に、森田さんの手になる
数々の名曲を思い出しています。

今回は、野島伸司さんのドラマ『高校教師』に
使われて大ヒットした『ぼくたちの失敗』の
歌詞の意味
について書いてみたいと思います。

謎めいたところもあるこの歌詞、
そもそも歌われている君と僕は男女関係なのか?
それとも男同士の友人なのか?
そのあたりから入ってみます。

とはいえ、この解釈が正解というわけではありません。
あくまで私個人の感想の域を出ないものとお考え下さい。

また、歌詞そのものは諸事情により掲載できません。
わざわざ来てくださった方にはすみませんが、
歌詞専門のサイトをご参照下さい。

 

『ぼくたちの失敗』の歌詞の世界

では、かなり無粋だとは思うのですが、『ぼくたちの失敗』を
私なりに理解した歌詞の内容を、分かりやすく
スケッチしてみたいと思います。あくまで私の理解です。

希望に満ちた未来の光に照らされ
きらめいていた青春時代
君と一緒に過ごしたあの頃、
僕には変わる勇気がなかった。

君とは夜更けまで、よく話し込んだね。
ストーブは買えなかったから
寒さをしのぐために電熱機をつけていた。
電熱線の赤々とした色をよく憶えているよ。

でも、時代は悪夢のように移り変わっていった。
そんな中、地下のジャズ喫茶で僕たちは、
なすすべもなく、時を過ごしたていた。

やがて君は出て行った。
ひとりきりになった僕たちの部屋で
チャーリーパーカーを見つけた。
君は大好きだったはずだけど、
いまは何をしているんだろう?

変われないまま駄目になった僕を見て、
君は驚いただろうね。
彼女はまだ元気かい?
・・・いや、それももう君にとっては昔の話なんだろうね。

君と一緒に過ごしたあの頃、
僕は君にすっかり依存していた。
自分で現実に立ち向かうこともせず
ただ君との関係によりかかっていたんだ。

僕と君は、男女関係?

冒頭の疑問ですが、僕と君とは男同士だと私は思います。

後半に
「あの子はまだ元気かい?」
と出てきます。

これは「君」がつきあっていた彼女のこと
だと感じられます。

なので、一般的に考えると、僕と君とは男友だちの
関係だと思うのです。

『僕たちの失敗』は、男女の離別の歌なのかな?
という気持ちもあったのですが、そうではなさそう。

とすると、全体をどんな風に理解するのか、少し見えてきます。

 

『ぼくたちの失敗』の歌詞の意味

変化に取り残された青春

『ぼくたちの失敗』は青春を回想した歌だと思います。

曲が発表された1976年頃は、政治の季節が終わり、
社会に取り込まれて行く時代だったと言えます。

大人たちの作った社会を否定し、若者たちが自らの手で
社会を改革・革命しようと熱くなった時代。
それが挫折し、自分たちが否定しようとした
既成の社会へと組み込まれて行く。

『ぼくたちの失敗』の主人公は、その変化についていけず、
ひとり取り残されてしまった存在のように感じられます。
「僕」にとっては、ついていけない時の流れは、
まさに「悪い夢のよう」だったでしょう。

チャーリー・パーカーが象徴するもの

しかし、電熱器で暖をとりながら世界を語り合った「君」は
多分、それなりに変化に順応できた。
社会に生きる場所を見つけ、僕とは違う道を歩んで行った。

君が置き去りにしていったチャーリー・パーカー。
彼の音楽と一緒に、僕のことも忘れてしまったかも知れないね。
そんな声も聞こえてきそうです。

チャーリー・パーカーはモダン・ジャズの父とも言われる
ジャズミュージシャン。
並外れた音楽的センスから繰り出されるアドリブは、
体系的に整理された既存の音楽に対するジャズの
象徴ともなりました。

既存の音楽 vs ジャズのアドリブという図式に、
大人 vs 若者の対立の象徴を透かし見てていた
人々もいたでしょう。

しかしチャーリー・パーカーの晩年は惨めなものでした。
薬物やアルコール中毒で心身を病み、精神病院へ入退院を
繰り返しながら、最後は衰弱して亡くなります。

おそらく「君」と「僕」とはかつて、そんなチャーリーの
生き様にひとつのロマンを見ていた。

「君」は「僕」にチャーリーの夢を熱く語り、
これからの世の中、若者が今この時代になすべきことを、
「僕」に語ってくれた。
そして、そんな君と一緒にいることが、「僕」は嬉しかった。

君にとってあの時代や僕、チャーリーやあの子は、
もう過去のものなんだろうね。
青春の輝く空気の中で、僕は君によりかかっていたんだ。
それが、僕たちが一緒に歩んで行けなかった失敗の
原因なんだろうね・・・

君の“やさしさ”とは何か?

という感じで、私はこの『僕たちの失敗』を、
時代の変化についていけなかった僕と、
適応した君との離別、その回想と理解しています。

その中でちょっとわからないのは、
君の「やさしさ」が何であるかという点。

これについては、もっと深く考えてみたい
ところではあります。
もしかすると、ここに書いたような解釈を
ひっくり返すような鍵になっているかも知れません。

そんな予感をもちながらも、今のところは
次のように考えています。

君と僕の関係は、イーブンではありません。
君が主導し、僕はそれについていく関係。

君は自分で考えて行動するため、
時代の変化にもついていけた。
僕のほうは、厳しい言い方ですが、
そうではなかった。

君には自立性があったけど、僕は依存的。
でもそのことを君は、僕に突きつけることはなかった。
これが君のやさしさ、なのかなと思います。

結果的にみるとこのやさしさは、
僕を時代から取り残された存在にしてしまう
一因にもなっているわけですが。

 

おわりに

以上、ごくごく簡単ですが、森田童子さんの
『僕たちの失敗』の歌詞の意味について、
私が理解しているところを書いてみました。

仮にこんな理解が可能だとすると、『ぼくたちの失敗』は
時代背景が今とは違う面もありながらも、
若者が青年期から社会的存在に変化する過程では
今も十分通じるテーマになっていると思います。

この楽曲がもつイメージ喚起力と強い哀感に比べると
はなはだ力不足という気がしますが、
何かピンとくる点を見つけてくだされば嬉しいです。
もしファンの方をご不快にさせてしまったら、
申し訳ありません。

ここまで読んでくださった方がいらしたら、お礼申し上げます。
どうもありがとうございました。

『高校教師』がまた見たい方へ

『ぼくたちの失敗』と共に奏でられた桜井幸子さんと真田広之さんの切ないストーリー『高校教師』が「hulu」に登録されていました。

『高校教師』は他のバージョンも作られましたが、個人的にはこの桜井&真田版が最高です。持田真樹さんも出ていましたね。第4話「高校教師」や第10話のまさに「僕たちの失敗」はサブタイトルを思い出すだけでも胸がざわつきます。

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*番組は入れ替えがあります。この情報は2018年6月13日時点での状況です。時間がたっている場合は、hulu内でご確認ください。

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